寝子島、アクアアルタの日｜リアクション

寝子島、アクアアルタの日

「やあ、これはきれいですー。ふっふー」
　いつもと様子を一変させた水の街旧市街を眺めながら、薄野五月は満足そうに呟いた。

　朝起きたらちゃぷちゃぷと道路が水浸しになっていて。確かこんな現象が外国の方にもあったと五月は考える。
　何でしたっけ……アクア……そう、アクア・アルタです。まさか寝子島が水の都になるとは……何てステキなのでしょう！
　この機会を逃す手はないと、五月はいそいそと家を出たのであった。

　空にも、水にも、抜けるような青が世界を支配している。お伽噺のような世界に五月は１人立ち尽くす。水の中を泳ぐ魚が、時々五月の足に当たっては通り過ぎていく。
「くすぐったいですー。ふっふ」
　暖かい光を浴びながら五月が軽く身を捩った。

　気分良くじゃぶじゃぶ散歩をしていた五月の足が、ふと止まった。
（おや、おや）
　ポストの上で可愛らしいキジシロの猫が地面を見下ろし何やらうろうろしていた。どうやら水を避けたまま動けなくなってしまったらしい。五月はポストに近付いて猫に手を伸ばした。
「やあ、猫さん。どちらまで行かれます？　この薄野五月が本日限りの臨時運行、皆様の寝子電になりましょー」
　突然の五月の提案にキジシロ猫は目をぱちくり。しばらく１匹と１人は見合っていたが、猫がおもむろにぴょんと五月の手に飛び移った。
「やあやあいらっしゃい。降りたい時は一声鳴いてお知らせ下さいー」
　五月が腕の中の猫に言うと、分かったと言わんばかりに猫がみゃあと短く鳴いた。
「では、出発進行なのです。ふっふー」
　ピッと片手で前方を指し、五月寝子電はじゃぶじゃぶと進み出す。
　運行は各停。そこかしこで困っている猫達を、五月は腕に乗せたり肩に乗せたりしながら丁寧に救っていく。最初のキジシロはちゃっかりと五月の頭の上の特等席を陣取っていた。
「こう見えて腕力にはそこそこ自信がありますゆえ、猫さん達、どーんと、どーんと身を任せて下さいませー」
　キジシロを頭に乗せながら、降りたそうな猫を安全な場所に降ろしたり、また新たな猫を乗せたり。運転手兼車掌として大活躍していた五月に、後ろから声がかけられた。
「凄いな、薄野。少し手伝うぞ」
「おやおや八神さん！」
　猫を頭に振り向いた五月の目の前に。猫を救いながらボートを引いていた八神修が立っていた。

　修が一緒に乗せてくれるというので、五月はその言葉に甘え、自分の腕に肩に乗っている猫達を修のボートに降ろす事にした。
「これはずい分助かりました……おや、あなたは行かないのですか？」
　五月は頭の上に乗ったままのキジシロに問い掛ける。キジシロは全く動く様子もなく、にゃあとのんびり鳴くだけだ。修が微笑んだ。
「きっと薄野の頭の上の方がいいんだよ。見晴らしもいいだろうし」
「……そうなのですか？」
　首は動かせないので目だけ上を見ながら五月はまたキジシロに訊く。キジシロが楽しそうにニャー♪　と鳴いた。

　こうして修と別れた五月は、頭の上の新たな連れと一緒にまた散歩を再開する。
　キラキラ光る水面。冬とは思えない暖かな光。そして何よりキジシロが乗っている頭がポカポカと暖かい。
「やあ、ええ気持ちですー。ふっふ」
　微笑みながらそう呟くと、五月は頭の上のキジシロをそっと撫でる。彼女に答えるようにキジシロの尻尾が五月の手の甲をくすぐった。