暗澹の頁｜リアクション

暗澹の頁

　数時間前で止まったままのネコッター。接続中とだけ表示されたＮＹＡＩＮ。
　ファンタジー世界のギミックか、偶然にも電波が悪いだけなのだろうか。
　スマートフォンを指先で弄り、何とか連絡が取れないものかと物陰に潜む椿美咲紀は熟考する。
「うーん……？」
　今日のラッキーカラーは黒色ではなかったのだろうか――それとも神様からのプレゼントなのだとすると随分酷な話ではないだろうか。
「連絡取れないのですね」
　古びた校舎なだけあって、公共の電波も飛んではいない。ポケットに滑り込ませたスマートフォンを確かめてゆっくりと廊下を往く。歩くたびに軋んだ板が己の居場所を知らせるかのようだと彼女は頬を掻く。
　遠巻きに聞え出した足音の激しさに、開かれた教室の扉の影へと隠れた彼女は生者の存在を確かに目にした。

「ッ――――！！」
　ぜ、ぜ、と激しく上下する胸は呼吸が苦しいと告げるかのようだ。内側を鮮やかな空の色で染め上げた黒いロングヘアは十二分に目につく。気怠げな雰囲気からは想像もつかぬ賢明さに美咲紀は息を飲んだ。
　財布を手にし、中から幾つか取り出した千歳飴楓子は己の所有するろっこんを発動する。
　投げた現金はべったりとした甘味へと変化し、女の足を縺れさせた。
　微かな呻き声とだらりと垂れ下がった髪が楓子が顕現させた蜂蜜に埋もれてゆく。
　ひ、と息を漏らした楓子が転びそうになった足に力を込めて走り出すが、限界が近いのだろう。
　むくりと起きあがった女が憾みがましい声をあげて楓子の足を掴む。ずん、と引き摺られる様に転び、盛大に捲れ上がったスカートを気にする暇もない程の恐怖に曝された楓子が大きな瞳をこれでもかという程に見開いた。
（も、もう無理だ……！？）
　転んだまま、視線を右往左往する楓子は教室の扉の影から覗いた運動靴の爪先に縋る様に声をかける。
　足をバタバタと動かして怯んだ女へと蜂蜜をサービスの様に掛けて両足を縺れさせながら「ま、待ってくれ」と肩で息をする。
「ちょ、ちょうど良かった。楓子を背負ってくれ。楓子の脚は限界だ。
　引き摺って行く形でも構わない。もう、一歩たりとも動きたくない……」
「え！？」
　足首に女の掌の痕がべっとりと付いている。強い力で締めつけられたかのような痕は日に焼ける事の無い楓子の肌にくっきりと示されていた。
　相手はチェーンソーだ。楓子のろっこんは目にした通りの蜂蜜だ。
　そして、自分はヒーラーの立場となるだろう。こうしている間に女が立ち上がり襲い来る。
（引き摺れる、多分……！）
　遭遇する場所は解らない。しかし、一度でも逃げ果せる事が出来たならば、二度目は彼女の位置を把握し行動を絞る事が出来る筈だ。
　思い巡らせる美咲紀と、女の動向から目を離せないと言った楓子は互いに立ち竦むだけだ。

「――アナタたち、逃げなさいな」
　廊下の奥から響いたのは尾鎌蛇那伊の低い声音。
　巨躯に鮮やかなメイクの蛇那伊は二人の居る教室の扉を大きな音で開き、その背で女子二人を逃がす様な仕草を取った後、ゆっくりと立ち上がった女へと向き直る。
「アタシって武闘派なのよ？　高い速力と高い体力で向かってくる殺人鬼、ね。
　たまにはそういう相手も悪くないし、全力で叩くまでよ」

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