理想の恋人はじめました！｜リアクション

理想の恋人はじめました！

　熱っぽく名前を呼ばれても、千歳飴楓子はすぐにはそちらを見遣らなかった。
　ゲームマネーを買いに出掛けた帰りのこと。
　近所のベンチに腰を下ろして、楓子は家を目指す間も惜しんでスマホゲームに興じていた。
　だというのに、ここで手を抜くだなんて、楓子からしてみたらありえないことだ。
　自分の名を呼んだ誰かが、傍らに腰掛けるのが気配でわかったとしても、である。
「……で、楓子に何の用だ」
　クエストを一通りクリアした後で、楓子はようやっと声の主の方を見た。
　そこに座っていたのは、凡庸な男だった。
　別れて５分後には顔を忘れてしまいそうな希薄すぎる印象で構成された男は、
「楓子さん。僕はあなたの理想の恋人です」
　と、こちらも取り立てて特徴のない声に喜色を乗せて言う。
「恋人だと？　悪いが、今は人よりゲームが愛しくてね」
　他をあたって……と楓子が言い掛けた時、男は、すっと１枚のカードを取り出した。
　スマホに視線を戻そうとしていた楓子の青の双眸が、ハッとして見開かれる。
「そ、それは……ゲームマネーのカードじゃないか！」
「何枚ほどご所望でしょうか？　ええっと、とりあえずこれで足りるかな……」
　だばだばと湯水のように取り出される魅惑のカード。
　宝の山を前に、楓子は、思わず身を乗り出した。
「こんなにたくさん！？　くれるのか！？　楓子に！？」
「勿論、全て愛しいあなたの物です。僕は、油田も持っています」
「油田……」
　男の口からとび出した攻撃力の高いワードを、楓子は口の中に繰り返す。そして。
「よし。君は楓子の理想の恋人のようだ。そのまま楓子に尽くしてもらおうか」
　手ではせっせとカードを拾い集めながら宣言すれば、「はいっ！」と男は嬉しそうに頷いた。
「楓子さん、僕はあなたの為に、一体何をすればいいでしょうか？」
「ふむ、早速いい心掛けだぞ。そうだな……先ずは、楓子の家に来てもらおうか」
「喜んで！」
　かくして、楓子は男を伴って自宅へと。
　そして、楓子のだらだらとして幸せな一日が幕を開けた――。
「楓子さんの髪は綺麗ですね。梳かしていると幸せになります」
「そうかそうか。存分に幸せになってくれ」
　という具合で、男は楓子のロングヘアを丁寧に梳かし、仕上げてくれたり。
「楓子さんのお着替えを、僕なんかが手伝えるだなんて……」
「うむ。とても楽チンだ」
　なんて、一切の下心なしに楓子の着替えを完璧に手伝ってくれたり。
「楓子さん！　お掃除終わりました！」
「ご苦労。ふむ、ピカピカじゃないか。その調子だぞ」
「ありがとうございます！」
　と、楓子は家中の掃除も男に一任した。何をやらせても完璧だ。

「成る程、愛されるというのも悪くないな」
　ソファに寝そべり、男に新しく買ってもらったスマホで、スマホゲームだけに精を出す。
　当然、ゲームマネー代は全部まるっと男が支払ってくれた。
　課金代が湧いて出て、自堕落生活が見事にサポートされる生活の、素晴らしさたるや。
「楓子さん、そろそろ食事の準備をしましょうか？」
「料理も作ってくれるのか。うむ、頼んだ」
　やがて、キッチンからいい匂いが漂ってくる。
　イベントが終わるタイミングをきちりと見計らって、男はテーブルに食事を並べた。
　しかも、どれもちゃんと出来立てだ。
　ぱくり、と料理を口に運ぶ楓子。
「……ふむふむ。まあ家庭料理にしては悪くは無いと思うぞ」
「ありがとうございますっ」
　男は喜んだが、楓子は内心、ちょっぴりだけ首を傾げていた。
（確かに、悪くはないが……）
　料理だけは、完璧だとは思えなかったのだ。
　けれど勿論不味いわけではないし、有り難く頂いて楓子はスマホゲームの世界に戻った。
（恋だ愛だは興味が無いが、無条件で楓子に利益をもたらしてくれる人間は良いなぁ）
　なんて、ソファの上でひたすらに指を動かしながら思う。
　しかし――神魂由来の存在である男は、日暮れと共に煙のように消えてしまう運命だ。
　新調させたスマホや、貰ったカードで課金して引きまくったガチャ。
　それらは別に、魔法が解けたように消えてしまうことはなかったので一安心だが、
「――消えてしまって残念だ」
　と、楓子は、男が居なくなった部屋の中でぽつりと呟いた。
　その瞳を涙が濡らす……みたいな出来事は特には起こらず、
「また身の回りの世話を全部見てくれて、課金代もたくさん払ってくれるような人が現れてくれないだろうか」
　なんて、楓子はまたいつものように、スマホ画面に眼差しを遣るのだった。

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理想の恋人はじめました！

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