数々の惨劇と悲劇に見舞われ廃墟と化したホテルに軽快な靴音が響く。
無骨な手斧をひっさげ跳ねるように歩くのは幼い少女、黒に限りなく近い濃紺のワンピースが翻るごと膝まで伸ばした赤毛がうねり白い素足が覗く。
さしずめ炭鉱のカナリア、その歌声は可憐に澄みきっている。
ご機嫌なソプラノでハミングしつつ、猟奇的な幼女はいつ果てるともしれない廊下を進む。
少女の両側、等間隔に並ぶドアの前には部屋番号を示すプレートが掲げられている。
その一つ一つから禍々しい瘴気が漂い、黒い霧となって這うように床を流れる。
ドアの内側から圧を高めて噴き零れる瘴気にも些かも歩調は落とさず、ステップを踏みながら口ずさむ。
「さようならミス、ごきげんようミセス、来世で逢いましょうミスタ。チェックアウトのお時間よ」
少女は踊る、廃墟で踊る。
片足を軸にしてバレリーナのように旋回、首をもたげる白鳥に似た優雅さで一撫で、ドアの内で混沌と蠢く悪霊の怨嗟の声を鎮める。
じきにこのホテルは浄化され牢獄に幽閉された魂は天に召される。
罪に汚れた魂は地獄に落ちる。
「その前に用を済まさないと」
ゴトゴト、手斧を引きずる。斧の峰が床を削り線を引く。
ある扉の前に立つ。
無垢で愛らしい笑みをたたえたまま、両手で斧を振りかぶる。
斧がドアを直撃する。一回、二回、三回、続けざまに殴打。
ドアの表面を刃が抉り木片が悲惨、裂けて亀裂が生じたドアに大穴が穿たれる。
少女の顔に薄らと笑みが揺蕩う。
「ごめんあそばせ」
ワンピースの裾をお上品につまみあげ一礼、ささくれだった木片に髪がひっかからぬよう、素早く穴を通り抜ける。
朽ちた調度が捨て置かれ荒廃の相を呈す室内に視線を一巡、まっすぐ迷いない足取りでベッドへ赴く。
埃が沈殿する床を突っ切りシングルベッドに到着、再び高々と斧を振り上げる。
「えい」
力一杯振り下ろされた斧がベッドを直撃、マットレスに突き刺さる。一打、二打、三打。
シーツが切り裂かれ綿がはみだし羽毛が舞う中、少女は嬉々とした笑みを浮かべて斧を振り上げ振り下ろし続ける。
狂喜と狂気に爛々とぎらつく目、恍惚と蕩けた表情……
「みいつけた」
ずたずたに切り裂かれた枕の中を覗きこみ、手を突っ込んで何かを取り出す。
枕の中に巧妙に仕込まれた白い粉、粉末を封入した透明な袋を摘まみ上げる。
「こんなところに隠していたのね」
お砂糖じゃない。塩でもない。じゃあこの粉はなに?
袋を破き、指で軽くすくって一舐め…天はせず、おどけて肩を竦めてみせる。
「なめたって苦いばかりでおいしくないわね、きっと。この粉が悲劇の源、すべての元凶。ここに泊まった多くの人の身を滅ぼし人生を狂わせてきた……」
おそらく嘗て部屋に泊まった客が隠蔽したモノ。
ホテルの消滅に伴いこの薬の所在は永遠に闇に葬られる、滅びる運命ならあえて介入せずとも時に任せて放置すればいい、しかし少女はそれを是とせずやってきた、人の愚かさが招いた悲劇に人の手で幕を引くために。
持参したマッチを擦り、袋の角を炙る。
マッチの先端から袋の端に燃え移った火が瞬く間に広がって、微細な粉末を焼き尽くす。
「これをめあてに迷いこむ物好きさんもいないでしょうけど」
でも、ホテルに巣食う悪霊たちにとっては未だに心残り。
コレに執着するあまり、昇れない子が沢山いる。
炎上する袋を高く投げる、宙を舞う袋からはらはらと煤が散る、煤と火花を浴びながら少女は楽しげに愉しげに高笑いしてベッドの傍らで旋回する。
ちょっとだけもったない。
少しだけつまみ食いしてもよかったかしら?いいえやめておきましょう、ネミッサはいい子だもの、泥棒なんかしないのよ。それに苦いオクスリより甘いお砂糖が好き、ご褒美は甘いお菓子がいいわ。
切り裂かれたシーツの羽毛が舞う中、赤毛の少女は両手を天へさしのべてにっこり宣言。
「ほらみんな、これで安心して天国と地獄に行けるわね!」
完
■この話はフィクションです。
実際のリアクションとは関係あるようでありません■