遊園地の敷地内にある野外音楽堂
石造りのステージでは嘗て手品やお芝居、ヒーローショーが演じられていたが、今は演者も観客もなく静まり返っている
ステージには壊れたピアノが一台打ち捨てられている……
不完全さが人間らしさの証明なら、天才も所詮は人の子と云う事なのか。その分類も、一般大衆からの思い込みにすぎません。彼らが自らを天才だと称する例は稀ですから
天才がこの世を去るとその才能を惜しまれる。ただ才能だけを惜しまれると云うのはかれらに取っては喜ばしい事なのか
「もうあのピアノが聞けない」僕の周りでもそう嘆き悲しむ者もいた。正直この世界にこれ以上呪いが撒かれる危機が去って、僕は気が晴れた。けれども兄は「生きていてもピアノが聞けるかどうかは分からないし、そればかり期待されたら辛い」と云うような事を言っていたな。当時は天才が味わった初めてのスランプ……その程度の意味にしか聞こえなかったけれど……
ふうん、貴方がそうでないのは分かっています。しかし言ってみれば良かったのに。時任彼方がどう反応するか見たかった。貴方にとって時任彼方とは、貴方の時間を邪魔するだけの存在……?
成程。自分だけの名前をつけて特別にする。愛らしい発想ですよね、遙(はるか)さん。
僕は名前ではなく、固有の関係性を示す言葉で呼称した。世界中で、彼をその呼称で呼ぶことが出来るのは僕ただ一人
(「君は人として最低だ」その言葉に肩の力が抜けたように、ため息に安堵が混じり)
……ありがとうございます。
初めて言われた。何故今まで誰も僕にその言葉を投げかけなかったのか。僕は本来ならば軽蔑されて然るべき人間だ。分かってもらえて……良かったです……
……滑稽で、憐れな。ただし何もないと決めつけるのは早急です。貴方が彼の音楽の翻訳者であったように、彼もまた貴方の感情の翻訳者であったのかもしれない
貴方は時任彼方の事になると、少し、感情的だ
僕と彼を比べて、彼の方が、と、貴方は思っている
(斑鳩さんが自分に合わせてくれてなのを何となく察し、頬を赤らめばつが悪そうな顔を向ける)
ええ、そっそうですね……少し……からかってみました
僕に触れるのは、よした方が、いいです……おすすめしません(自分を守るように手をそっと握りしめ)
カール・グスタフ・ユングのは言った『健全な人間は他人を虐げない。人を虐げるのは自らが虐げられた者である』
僕たちのような人間はアダルトチルドレンと云うそうですね。日本では「未熟なまま成長してしまった大人」と誤解されているようですが、僕にはその誤解が適当だ
同じ環境で育ったのに、兄さんは誰も虐げなかった。環境だなんて言い訳にならない。