大切なことはいつもシンプルだ。
恋愛、仕事、勉強に趣味に社会常識その他諸々だってそうだが、シンプル過ぎるから人間は後付で無駄な要素をごてごてと付けたがる。
自分らしく自分がしたいように生きていると思って、そう公言してきた私も例外ではないのだと、私は封筒に入れた手紙をゴミ箱に投げ捨てながらそう思った。
こんなにも無駄なことを書く必要なんてない。ただ私は本当に伝えたいことを――ただ二言だけ、まだお前が好きだ、もう一度会いたい、と書けばいいだけのことなのに。
「……キャラじゃなくて恥ずかしいわ、そんなの」
自嘲気味に笑みを浮かべながら、私はぽつりと呟いた。
私だけの部屋は呟きをしんと吸収して、音の余韻もなにもかもを尽く吸い取ってしまう。
反響でもなんでもすればいいのにと、苛立った心が刺々しくも思ったが、独り身がなにを望んでも、それは届かない夢幻に過ぎない。
毎日がそんな繰り返しだった。そして私はその繰り返しに、何でもないような言葉に返事が返ってくるなんて何気ない一瞬が、どれだけ尊く幸せなものだったかを、改めて思い知らされる。
この年齢になっても「愛」というのはとても不確定で不安定なものとしか認識できず、なにを指して「愛」と言うべきかもよく分からないような私に、この部屋の沈黙はあまりにも空しすぎたのだ。
いったい何が「愛」だったのかなんて、私には分からない。
好きな彼を思い浮かべながら絵を描くこと、好きな彼と手を繋いで一緒に歩くこと、好きな彼と一緒に映画を見ること、好きな彼を思い浮かべながら、こうして女々しく手紙を書きつづること。
そんな行動行為のどれが「愛」なのか、どこからが「愛」なのかよく分からない。すべてが「愛」のようにも感じるし、すべて私の一方的な幸せが記憶と言う時間のフィルターのせいで美化されているのかもしれない。
私はそこで湿っぽい考え事が頭の中でどんどんと肥大化していくのが嫌になって、タバコを手に取って部屋を出た。
こうして煙草を吸って酒を飲んでいれば、考えすぎずに済む。それに、暗闇に溶けていくように消える紫煙に比べたら、私はまだ恵まれているのだ。
「新しい一週間が始まるぞ。今日は月曜日だ――か」
短くなった煙草をそのまま煙管の吸い口に差し込み、私は紫煙を吸っては吐く。
そうしているだけで、うだうだと女々しく考え込んでいた自分が馬鹿みたいに思えてきて、清々する。
身体がニコチンとタールで汚染されていくのと引き換えに、私はこうして精神的に忘れたいことを一時的に忘れることができるってわけだ。
酒も同じく、嫌な記憶とか感情を一時的に忘れるためにある。忘れられないものは、なにをしたって忘れられないものではあるけれど、たまに背中から降ろしてみたくなる時もある。
嫌だ嫌だと言ったところで、頭の中にへばり付いた記憶や思い出が消えるわけでもない。会いたい会いたいと願ったところで、会えるわけとは限らない。
世はすべて事もなし。結局は、そういうことなんだろう。
「さて、寝るか。明日は月曜日だ」
くすりと笑いながら、私は部屋へ戻る。
忘れられない記憶を忘れて、また思いだして、また忘れて。
いつしか完全に忘れることができるのだろうかと思いながら。
そして同時に、それを完全に忘れること自体を恐れながら。
私はきっと今日も明日も、巡りくるすべてを愉しもうとしながら生きる。
ただそれだけ。たったそれだけ。
――というか、愉しめるんならなんでもいいわ。