声のない世界で｜リアクション

声のない世界で

◆
木天蓼大学でのことである。
講義の合間の移動中、嘉島和穂は先輩のクルト・エールヴァールと偶然会った。
「どうも、こんにちはクルトさん」
「おや、奇遇だな」
ちなみにこの２人、学部が違う。
それでも、話せることはあるもので。
「わたし、必修だったんですよー。クルトさんはどの講義だったんですか？」
「俺か？」
と、クルトの口にした講義に和穂は覚えがあった。というのも、
「あ、その教授私気になってて……今度短期講習取ろうかなって思ってるんですよねぇ」
「なら、早めに動いた方がいいぞ。人気だからな、すぐ定員が埋まってしまう」
「そうなんですか？」
そんな何気のない大学生的世間話をしている最中だった。
「クル　　　　」
突然、声が出なくなった。
一拍の間を置いて、にわかにパニックが和穂を襲う。
（あっ、あれっ？　声出てない？）
あたふたしながら、喉を指差してバッテンを作ったりなんやかんやして声が出ないことを伝えようと四苦八苦。
（ど、どうしよう……ねえ、クルトさん、聞こえてます？　ませんよね！？）
一体どうすれば！？

――と、和穂のお目目がぐるぐるし始める一方で。
クルトは至って冷静沈着であった。
どうした和穂ちゃん、と口に出そうとして声が出ないことに気付く。
落ち着いて周りを見れば、他の学生たちが変わらず雑談を楽しんでいるのがわかる。
どうやら、全員の声が出ない訳ではないらしい。
また、音が無くなった……というわけではなく、自分たちの声が出なくなったというべき状況らしい。
思案げにあごに手をやる。
考えられる原因としては、神魂だとかいうものの影響か。
ということは、思い至るのはあのテオとかいう猫。
彼なら何かを知っていそうだが――と、現状の分析を行っていたクルト。
そこでふと、目の前でパニックを起こしている和穂に気が付いた。
必死な様子で手振りをしている様子はちょっと、いや大分気の毒である。
（……確かに、急に声を失えば動揺もするか。だが、今のところ命に別状はなさそうだ。安心しろ、和穂ちゃん）
和穂の肩へ、ポンと手を置く。
そうして、いつも仏頂面な彼にしては意外なことに。
ごくごく自然に、和穂に微笑みかけた。
大丈夫だ、という意味をこめて。

で、大変なのは和穂である。
（ク、クルトさんが……わ、わらっ……）
今まで一度も見たことのない、クルトの穏やかな笑顔。
しかも、そんな――そんな優しい目をするなんて。
あの真面目だけど、ちょっと堅物っぽいクルトが！
その事実を認識するにつれ、和穂の顔がほんのりと赤くなる。

しかし、クルトとかいう朴念仁はそれに気付かない。
（……そうか、声が出ないなら筆談という手があったな）
おもむろに鞄から筆記具を取り出す。
『大丈夫か和穂ちゃん』
それを見てはっとなった和穂は、大慌てで手帳と筆記具を取り出した。
『大丈夫ですっ。取り乱してすみません……＞＜』
一応パニックは収まったようである。
しかし、このままほうっておくわけにもいくまい。
もう少し、様子を見ていくことにした。

筆談しながら、和穂は内心どきどきしていた。
（ううう、危ないっ。もしも声が出てたら、なんか変なこと口走ってたかも……）
そういう意味では、逆に声が出なくて助かったのかもしれない。
だって、もともとそりゃいい人だよねとか格好いい人だなとか思ってた素敵な先輩に、不意に笑いかけられたのだ。
反則である。
ともあれ筆談を続けるうち、どうやらこの状況は自分達をはじめ一部だけへの一時的なものとわかってほっとした。
（筆談でよかったかも。書くのに下向いてても違和感ないし……ないよね？）
そこでふと思った。
（……わたし、なんか変な顔してないかな？）
自覚はないけど、多分してる。

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