装飾譚：腕時計「時間泥棒」｜リアクション

装飾譚：腕時計「時間泥棒」

太陽が沈みかけたころ。
仕事あがりの荒井景貴はガラスに映った自分を見ながら簡単に髪を整え、待ちあわせ場所の駅前に向かう。紅林柳霞と出かけるのは初めてではないのに……早く会いたくていつもより歩みが忙しい。
同じころ。だいぶ早くに駅前に到着していた柳霞はスマホの時間表示を時々見ながら景貴の姿を探していた。店は早めに閉めたのだろう。
「私も時計、買おうかなぁ」
柳霞がほう、と息を吐く。
正確に時を知らせるスマホの画面もいいけれど、高鳴る鼓動によりそってくれるのは秒針のあるアナログの時計なのかもしれない。そんなことを考えていたようだ。
「柳霞さん」
穏やかな声と、ふわりと甘い香り。スマホから顔を上げると少し息を切らした景貴が立っていた。柳霞の姿を見つけて走ってきたようだ。遠くにいてもすぐに気付いた。
「すみません、待たせてしまいましたか？」
「ううん。私もさっき着いたところ。行きましょ、景貴さん」
花のような笑顔を見せる柳霞。彼女の笑顔を見ると、景貴も自然と笑顔になっていた。
「また一緒に出掛ける事が出来て嬉しいです」
車道側を歩く景貴が柳霞に話しかけた。
景貴は以前から懐中時計が欲しかったそうだ。しかし、どういったものが似合うのかわからない。柳霞に相談したところ、彼女が似合うものを選んでくれるらしい。そういうわけで仕事終わりに時計屋・時間泥棒にふたりで訪れることになった。
この時間帯の店内は社会人も多く、昼よりも落ち着いた雰囲気になっていた。景貴が珍しそうに時計を眺める。買う予定のない腕時計もつい手に取ってしまい、足の運びが遅くなる。
「どれが景貴さんに似合うかな？」
対照的に柳霞はまっすぐに懐中時計のコーナーに向かっていた。柳霞の後ろを少し慌てたように景貴が追う。いけないいけない、せっかくのふたりの時間なのに。
「へえ……懐中時計ってこんなに種類があるんですね。サイズも色もたくさん……」
「ここに来る前に、ある程度景貴さんに似合いそうなものは考えてきたの。やっぱり文字盤に細工してあるのが素敵だと思うな。んー、これはどうかなぁ」
柳霞が懐中時計のいくつかを景貴に近づける。色と本人の相性を確認しているようだ。
「どうですか？」
「そうね、色は銀より金のほうがいいかな？　景貴さんにはこっち。金古美がおすすめ」
金古美とは鈍い輝きを持つ金色のことだ。
「ハチミツとチョコレートを混ぜたような……うん。僕らしい色ですね」
時計を柳霞から受け取り眺める。蓋とチェーンがついたアンティーク調の時計だ。盤面は円の斜め上に配置されており、その他のスペースには紺色の小さな石が星のように輝いていた。盤面の円を月に見立てているのだろう。見上げるように金の猫が座っている。
「どう、かな」
景貴がじっと時計を見るものだから、柳霞は少し心配になってしまったのだろう。上目づかいで彼の様子をうかがった。
「この時計、いいですね。箒星を一緒に見に行った時の事を思い出します」
「ほんと？　よかった！」
景貴が喜んでくれて、柳霞はつい腕に抱きつく。景貴が一瞬動きを止め……動揺を隠そうと努めた。
景貴の腕越しに柳霞が時計の猫を見る。
この猫は自分の代わりのイメージだった。いつでも傍にいられるように。なんて。
「この猫、少し柳霞さんに……」
「え？」
「い、いえ。な、何でもありません……っ」
照れたように笑い、景貴はその先を言わない。ガラスごしに猫の頭をそーっとなでた。

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