ゆふに立つ雨｜リアクション

ゆふに立つ雨

　カウンターで小包の代金を支払うと、郵便局を出た。タイル敷のスロープを下って歩道に出る。雨粒が、眼鏡にあたった。
　それほどというわけでもない。すぐに止むだろう。そう思ったが、夏の雨雲は気まぐれだった。どこかで雨宿りした方が良いだろう。
　薄野五月は、和傘をさした着物の女性を追い抜いて走り込んだ近くの木陰で、バッグを探った。
「あれ。どこに入れたかな」
　いつもの場所に、布の手応えがなかった。前に使った時に、違うところに入れたらしい。
　探っていると、ハンカチが差し出された。
「良かったら、どうぞ」
　御巫時子だった。花緑青の着物に、朱の和傘といういでたち。今日は旧市街まで、足を延ばしていた。
「ん、ありがと」
　好意に甘えて、五月はハンカチを借り、眼鏡と顔を拭った。もう一度礼を言って、ハンカチを返す。
　生い茂った葉の重なりは、うまい具合に雨を遮ってくれたが、しばらくは動けそうにない。
「結構、降ってきちゃったなぁ……」
　五月は、ぼんやりと空を見上げた。
　二人が宿っている樹の天辺に、ホオジロが鳴いていた。
「源平躑躅、白躑躅。一筆啓上仕り候」
　時子はホオジロの鳴く声に合わせて、口ずさんでいた。
「それ、何のこと？」
　五月が尋ねた。
「ホオジロの鳴く声が、昔はそう聞こえたそうですよ」
「へえ、面白いねぇ」
　小鳥が一羽、飛んできて時子の肩に止まった。ちょっとずつ顔の近くに寄って来て、時子の頬に、小さな頬をすり寄せた。
　まるで、会話をしているようだった。
「なんて言ってるのかな」
　五月はふと、聞いてみたくなった。
「湿って来ると、身体が重くなって疲れるって。休みたいそうです」
　不思議な子だった。そう言われてみれば、そう言っているようにも見える。
「へえ。それって、君の──」
　時子は、頷いた。
「なんだか、楽しそうだね」
「とっても楽しいですよ」
　時子は、微笑んだ。肩の小鳥は、安心しきっているようだった。時子の掌に、大人しく包まれている。もしかしたら、同じ鳥だと思われているのかも知れない。
　五月は、天を見上げた。
　雨は、嫌いではなかった。雨の音しか聞こえない、静かな雰囲気や、澄んだ空気が、何故だか昔から好きだった。雨の来し方を見上げていると、空を飛んでいるような、吸い込まれるような、不思議な感覚になった。
　車や人が投げかける通りの喧騒が、近付いては遠ざかる。
　時子の肩にとまっていた鳥が、ふいに飛び立った。木の葉が揺れて、雨粒がはねた。
「あら」
「あれ」
　二人して声を上げた。
　足元で、猫が鳴いた。真っ白な、猫だった。
　五月は屈み込んだ。
「やあ、こんにちは、猫さん。今日は雨降りですね。これから、どちらへ行かれます？」
　猫がもう一度、鳴いた。人に慣れているようだ。撫でると、目を細めて、ごろごろと喉を鳴らした。
　ぐう、とお腹が鳴った。猫の耳が、小さく動いた。
「小腹が空いちゃった」
　時子を見上げて、いくらか照れ臭そうに言う。そして、じっと猫と見つめ合う。
「内緒ですよ？」
　小降りになってきた。木陰から走り出た猫が、途中で二人を振り返った。
「ばいばい、猫さん」
　白い猫はもう一度鳴くと、美術館の方へ走り去っていった。
「お近づきの印ってのも変だけど、どこかでうどんでも食べてく？」
「お邪魔させて頂きます」
　時子の丁寧な返事に、五月は明るく笑った。
「じゃあ、いこっか」
　雨が止んだのを見計らって、二人はつれだって歩き出した。

このページにイラストを設定する