楽しい夕食を終えて、テーブルには綾花の手作りガトーショコラがやってくる。
　しっとりとした切り口を見た珪は、自分の見立てが間違いなさそうだと微笑みボトルに手をかけた。
「これも少しだけ、色と香りを見てみる？」
　確認しやすいようにグラスへ少なめに注ぎ、綾花の前で傾ける。店と照明も違うし比べる相手がいないけど、少し明るめの優しい赤から漂う香りは、店で見ていたのと系統が違うと思うはずだ。
「お店で見ていたのより、大人っぽすぎず甘すぎず……爽やか、な感じかも？」
「そうだね。重くもなく軽い果実系の甘さ――だから、『合わせやすい』と思ったんだ」
　ガトーショコラに合わすだけを考えるなら、ここまで軽くなくてもいい。
　だけど綾花は美味しい夕食も作ってくれるから、限定するのはもったいないようにも思った。
「今日のこの瞬間を１人で楽しむよりも、これからも綾花さんと楽しめるようなものがいいなって」
　とは言っても、味が落ちることを考えればクリスマスまでには飲みきってしまう。彼女が料理を多めに作り置きしていてくれたなら、なんて期待する言葉にも思えて、珪は自分へ呆れながらグラスに注ぎ足す。
「……私は、飲めないですよ？」
「もちろんだよ。そのために、チャームも付けたんだからね」
　使うグラスこそ同じだけれど、綾花のグラスには冷蔵庫で冷やしておいた炭酸入りのぶどうジュースが注がれる。立ち寄った専門店で綾花がサバトラの話を持ち出すと、店主がいたく喜んで店飲み用のボトルを売ってくれたのだ。
　こうした違いは、徐々に減っていくのだろう。高校も卒業して、半年後には綾花も20歳となる。
「改めまして。……珪さん、お誕生日おめでとうございます」
　ありがたく受け取ったとばかりに珪がグラスを目線の横に掲げて、グラスを軽く重ねる。
　響く音も、甘さを包んだ爽やかさも変わりないのに、ふたつの赤が大人と子供の境目を少しだけ揺らす。
「ありがとう、綾花さん。……本当に、忘れなくてよかった」
　来るクリスマスに集中しすぎて、珪は自身の誕生日を忘れていた。それで不貞を疑われるようなトラブルには発展しなかったけれど、不親切な態度は十分にあっただろう。
　申し訳ないと頭を掻く珪に、綾花は首を振る。
「こうしてお祝いできましたから、大丈夫ですよ。それでも、珪さんが気になるなら……」
　意味深な笑顔を残して、綾花は手元に置いておいた紙袋に手を掛ける。落ち着いた色合いのギフトバッグを取り出すと、にこにこと微笑んで差し出した。
「これ、一緒に使いませんか？」
　不思議そうな顔をした珪は、深く考えることもなく手に取って袋の感触を確かめた。共通の趣味と言えば読書だけれど、本ではない。そもそも使うとなれば、何があるだろう。
　感謝を述べつつ開けてみると、細長い箱と長方形に折りたたまれた布地。シャツにしては何か変だと思って広げてみると、それはロングタイプのサロンエプロンだった。
「私もお揃いで買ったんです。一緒に料理するのが、もっと楽しくなればいいなと思って」
「……それが、お詫びに？」
　きょとんとした綾花は、一拍間を置いてふふっと笑う。
　本当に気にしてないですよと添えながら、幸せそうに見つめるものだから、今度は珪がきょとんとする番だ。
「だって、私が欲しいのはお詫びじゃなくって、これからも珪さんと一緒にいるって約束ですから」
　当然のように言う綾花には、敵いそうにもない。珪は照れくさそうにエプロンを合わせ、綾花が紐の結び方にコツがあるとアシストする。
「今夜の後片付けから手伝わなきゃね」
「お誕生日ですから、ゆっくりしてください。代わりに、朝ご飯は一緒に作りましょうね」
　そのための、くつろぎアイテムが箱に入っていると言われ、珪も楽しみに手を取る。しっかりとした重みがあって、デスクワークを癒やすものだろうかと何の気なしに聞いてみた。
「これも、一緒に使うもの？」
　みるみるうちに顔を赤らめた綾花は『違う』と言わないものの、『そうです』とも言わない。かといって、彼女が悪ふざけな物を贈るとは考えづらいので、珪は躊躇いなく箱を開けた。
　中にはワインとよく似たボトル。ラベルには入浴剤と添えられていて、綾花を困惑させた原因はこれだろう。
「そ、れは……珪さんから、アロマミストを貰ったことを思い出したから……香りでリラックスできたらって」
　しどろもどろになりながら説明する綾花に他意はなく、エプロンを主軸として話してしまっただけなのだろうと察しがつく。けれど珪もある一件から、妙に浮かれているところが隠せなくて意地悪く笑ってしまった。
「なるほど。このワインの香りが、綾花さんの思う僕の香りかな？　……一緒に楽しめないのは残念だけど」
「珪さんっ！　ほら、ケーキも食べてください。誕生日、終わっちゃいますよ？」
　クスクス笑うのは止められないけれど、この話はなんとか終えてマリアージュを楽しむ。けれど綾花の手製のケーキを一緒に食べられるのなら、アルコールでなくとも幸せだっただろう。
「やっぱり、いいね」
　今までも綾花は手料理を振る舞ってくれていたけれど、今日は違う。
　ただ温かい食卓に笑顔を咲かすだけじゃなく、祝いの言葉をくれたからでもなくて。
「ワインと合いますか？」
　飲めないなりにレシピを試行錯誤したんだと笑う彼女は、気付いていないかもしれない。
　当たり前にそう言って、迎え入れてくれただけかもしれないけど。
「うん。……ありがとう、綾花さん」
　部屋へ帰るのを待ちきれなくて、アパートの側から見上げたとき。
　自分にはできない、温かな料理の香りが少し漂っていたとき。
　いつもと違う部屋の中から、「おかえり」と彼女が出迎えてくれたとき。
「来年は、もっと料理の腕を磨きますからね！」
「これ以上？　楽しみだけど、あまり舌を肥えさせないでね」
　幸せだと思えたから、何かで気持ちを返したい……いや、形にしたい。
　目下の目標は、クリスマスの我が儘にと綾花が言いかけたことを探ることになるだろうか。

　静かに夜は更けていく。
　夢見心地だけれど、確かな幸せと――唇を、重ねて。