七月、世界が終わるなら｜リアクション

七月、世界が終わるなら

　もしも世界が終わるなら、世界を創ればいいのです

　稲積柚春には、輝かしい幸福な未来が待っているはずだった。
　この春ようやく高校を卒業し、１８歳になって成人もした。誕生日が４月１日で早生まれなものだから、高校の卒業式のあとに１８歳になったのだ。たくさんのおめでとうがあって嬉しかった。なによりも嬉しかったのは、ずっと想いを温めてきたウォルター・Bとの交際がスタートしたことだ。先生と生徒という関係を卒業し、晴れて恋人と名乗れるようになったのだ。
　それなのに。
　その７月、世界は終わるという――。

「ねえ、ワット。もしも最後まで教壇に立ちたいっていうなら、そうしてくれていいんだよ？　お弁当だって作ってあげるし、お見送りだってしてあげる」
　ウォルター邸のリビングで、ソファに掛けて紅茶を傾けるウォルターの隣に腰かけながら、柚春は彼の真意を見出そうとその青い瞳を覗き込んだ。
「ははは。お気遣いありがとう。でも今日が最後の日だっていうのに学校があったら、生徒も先生も暴徒と化すだろうねぇ」
「つまり、学校は休みなんだ？」
「そ。何か学ぶっていうのはさ、未来があると思うからこそだよねぇ。もしも未来がないならば、もっと違うことに時間を使った方が有意義だよ……たとえば」
　ウォルターはいたずらっぽく笑って、こてりと柚春の膝に頭を預ける。
「こうして誰かの体温を感じるとかねぇ」
「……っ」
　自分のほうが甘えようと思っていたのに、思いがけず甘えられて、柚春の頬は朱に染まる。
「ねえ、ワット。もしも……」
　もしも世界が続くなら、自分たちの未来はどうなるだろう。
「ううん。もしもの話じゃないと思って聞いて？　僕、子どもはほしいな」
「はは、いきなりかっ飛ばすねぇ」
「むぅ……茶化さないで聞いてよ。僕ずっと考えてたんだから」
「ずっと？　高校生のころから？」
「そうだよ。僕、ワットの子どもがずっと欲しいと思ってた。家族……に、すごく憧れがあるのかもしれない。あんまり若いときに妊娠するのも良くないって言うけど、ワットの体力も心配だから早めがいいなぁ」
「うーん、僕も体力を心配される歳かぁ」
「ワットだって、還暦までに娘の結婚式は見たいでしょ？」
「結婚制度ってそのころまで残ってるかねぇ」
「あはは、でも大学までは見据えておかないと心配じゃない。二人目だってほしいし、その子が成人するころにはワットは……」
　言葉の途中で、そっと人差し指で唇を塞がれる。
「君の話を聞いていると、僕はけっこう生きたねぇ。僕はそれなりに世界を見た。いろんな出会いがあって、いろんなことがあったけれど、幸せだったなと思う。でも君は……若い君には世界の終わりは早すぎるよ。それが、辛いなぁ」
　柚春は、彼の瞳に映っている自分がうるんで揺れているのを見て、そっと彼に口づけした。

「もしも世界が滅ぶなら、新しい世界を創っちゃえばいいんだよ。イザナミとイザナギみたいに」

「日本神話だね」
「国生みを行った夫婦の神様だよ。世界を創るのは夫婦――男と女なの。この世界が終わっちゃうなら、僕とワットで創ろうよ。僕らが作った新しい世界では、僕とワットは結婚してて、子どももいるんだ。ひとり……ううん、ふたり。上の子は女の子で、下の子は男の子なんだよ。それで……、僕たちはすてきな庭のある家にお引っ越しして、幸せに幸せに暮らすの」
「うん……」
「新しい引っ越し先で迷子になりたくないから、ずっと傍にいてね。一番近くで繋がっていてね？」
「……ん……」
「……眠いの、ワット？」
「もっと何か喋って。その話、面白いから……」
「面白いって……もっと本気に考えてってば。ねえ、引っ越し先はどんなところがいいかな……？」
　――ワット。
　――ワット。
　――ワット。
　柚春の声がこだまする。
　彼女の膝に頭を預けたまま、ウォルターはゆっくりと瞼を閉じていった。

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