はれのちくらげ、ときどき雨｜リアクション

はれのちくらげ、ときどき雨

　天地が逆転し、海を頭上へ戴いたかのようだ。
「うわー、クラゲですー！」
　ページを繰る手を止め顔を上げた倉前七瀬の瞳も眼前を悠々泳いでゆくフウセンクラゲの櫛板列のごとく虹色に瞬いた。
「なんだか海の中を歩いてるみたいですねー」
　驚いた、驚いたが慣れたものである。寝子島暮らしは強い。クラゲ舞う今日の日和を素朴に受け入れ、楽しむこととした。
　本を片手に近所を散歩するのが日課だ。今日も近くの緑豊かな公園のベンチに腰かけお気に入りの本を開いていたが、視界の片隅に映り込むクラゲたちには心踊らせた。今日はなんだかいい日になりそうだ。
　ぱたんと本を閉じると歩き出す。目的はあえて定めずふらふらと、時に大通りを行き、時に住宅街の裏道へ入って何の変哲もない民家の風情を堪能したりもする。あそこの外壁の少しばかり剥げているところなど、侘び寂びが利いて味わい深いではないか。「そう思うでしょ？」浮かぶクラゲを振り返るも無論返事はなく、ゆらゆらと緩慢な動きで浮かぶのみ。七瀬は肩をすくめて、気まぐれに旧市街方面へ足を向けた。
「ありゃ？」
「おや」
　ひときわに密度あるクラゲの群れの向こうに、あの顔が見えた。ほらやっぱりと七瀬の頬は緩んだ。早速いいことがあった。
「ウォルターさん！　奇遇ですねー」
「やぁ七瀬。今日は何だかヘンな日だねぇ」
　ウォルター・Bの表情もまた踊っていた。クラゲたちの泳ぎも今の七瀬には小粋なダンスに見えてくる。
「せっかくですし、一緒に歩きませんか？」
「いいよぉ。実はこれから、旧市街のほうに行こうかと思っててね」
「あ、何か用事が？」
「いやいや」
　ほらこれ、とウォルターは目の前にやってきたクラゲの一匹をツンと突いた。ふるふると小刻みに、滑らかに揺れる様に七瀬はうなずく。発する二人の言葉も重なった。
「「ゼリーみたい」」
　もしくは寒天？　「食べたくなっちゃったんだよねぇ」と笑う彼に、七瀬もまったく同意した。

　飛ぶように売れている「クラゲまんじゅう」も悪くないが、今日はクラゲたちの趣に合わせて涼を取りたい気分である。旧市街に古く店を構える甘味処でゼリーや寒天などをつるりといただきたいところだ。
「そういうのもありますよね？　だって英語で『ゼリーフィッシュ』ですし」
「寝子島の商売人なら真っ先に思いつくようなものだよねぇ……あ、ほら」
　指さす先に早速見つけた。クラゲをモチーフにしたクラゲゼリーパフェだ。ご丁寧にお手製のポップも出ている。
　タイミングが良かったかあるいは旧市街全体でクラゲメニューが大流行りなおかげか、店内は比較的空いていた。窓際の良い席に二人で座り、クラゲゼリーパフェを注文した。
「おお、綺麗ですねー」
　器の縁が波打つ形をしているあたり、クラゲのかさをイメージしているようだ。七瀬は清涼感あるブルーのソーダ味を、ウォルターは赤いイチゴ味をチョイスした。冷たいゼリーとアイスクリームをスプーンですくい一口。
「ん！　これはいいねぇ、美味しいし見た目も涼しげだし」
「少し暑くなってきましたからねー。今日みたいな日にちょうどいいですね」
「うんうん。あ、イチゴ味も食べてみる？　そっちのも一口ちょうだいよ」
　などと言って彼は自分の器を示してくれたので、七瀬は赤いゼリーをスプーンですくい口へ運ぶ。なかなかに濃厚な甘さで美味しい。代わりにソーダ味を勧めると彼もスプーンを青いゼリーへ沈めて一すくい、ぱくりと食べた瞬間に笑みが弾けた。彼は強いて言えばソーダ味のほうが好みだったようだ。
「じゃあ半分ずつ食べましょうか」
「いいの？　そうしよう、そうしよう」
　窓の外には変わらずクラゲたちが揺れながら漂っている。クラゲといったら毒があるものが多いが、今日に現れた彼らのほとんどは無害なようだ。親子連れが風船のように手のひらでクラゲを押し上げ、泳ぎを助けては微笑む光景を眺めてほっこりと、胸を温かくする。
「う～ん、美味しい。これ、やっぱり今日だけの限定メニューかねぇ？　ちょっともったいない気がするね」
「それなら……僕もクラゲスイーツ、何か作ってみようかな？」
「お、いいねぇ。例えばどんなの？」
「ええと。そうですねー」
　しばし考え込む。ピンときて、七瀬はうなずいた。
「クラゲババロアとか！　きっと美味しいですよ。見た目にも凝りたいですね、クラゲっぽく優雅に可愛らしく」
「ははは、楽しみだよぉ」
　やはりいい日だ。今日を楽しんだばかりか、次の約束までつながった。
「上手にできたら、ウチに食べに来てくださいね」
　そう言ってウォルターの器からピンクのゼリーをすくい、クラゲたちに感謝しながら頬張った。

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