偶発的な事故だけどノーカウントを主張するか悩ましい｜リアクション

偶発的な事故だけどノーカウントを主張するか悩ましい

　持久走なんて夏場にするもんじゃない。滝原レオンは滴る汗を拭いながら、心底そう思った。
　対戦相手はもうお馴染みの狗条光。
　何かと因縁をつけて絡んでくるので、振り切ることにも慣れたと思ったのだが、今年の夏が異常なのか相手の体力がオカシイのか、レオンはバテかける己を奮い立たせるようにして走った。
　喧嘩はごめんだ、それに――

「怜ちゃんに男をあげた俺を見てもらうためにっ！　てめぇにはくたばってもらうぜ滝原レオン!!」
「知るかぁあああっ！」

　もしこの男に『怜ちゃん』の本当の姿が知れたなら、こんな追いかけっこで済まないかも知れない。
　考えただけでも目眩がする。いや、本当に少しチカチカしているかもしれない。

（やば、）

　徐々に詰められていた距離も相まって、ペースの落ちてきたレオンを逃すまいと光は一気に距離を縮めてレオンの腕を掴む。
　お互いに息が上がりすぎていたためか、数回呼吸を整える睨み合いの時間はあったけれど、あまりにギラついた光の目が対話の難しさを物語っていた。

「ちょこまか逃げやがって！」
「喧嘩買う気なんざねえんだってば！！」

　腕を引いても力強く引き返され、転ばないようバランスを取っていた逆手も、バテていたせいか呆気なく捕まれてしまう。このままでは、もみ合いの末に喧嘩へなだれ込むのは火を見るより明らかだ。

「この……っ、離せっての！！！」

　加減をすればやられる――そう思ったレオンは思いきり腕を引っ張った。
　やり過ぎたかも知れないと思ったのは、腕を振り抜いた後だ。

「…………っ！」
「…………！？」

　レオンが勢いよく振り抜いた腕を、それでも放すまいとする光は勢いに踏ん張れずよろめいた。本能的に『ヤバい』と思ったのか、お互いに驚いた顔で相手を見る。
　ただでさえ腕の勢いにつられてレオンもバランスを崩したのに、光がタックルするような形だ。
　打ち所が悪くないといいな、と思えるくらいにはゆっくりと、でもしっかりと背中を打ち付けて倒れこむ。
　背中を打ち付ける直前、光の顔を見た気がしたが、あいつは頭からすっころんだのだろうか。

（……？）

　転んだ衝撃で顔を顰めていたレオンが数度瞬きをすると、急に視界が開けた。
　馬乗りになっているような光が、とても慌てているのか泣きそうなのかわからない顔をしている。

「頭は打ってないぞ？」

　心配するような奴ではないだろうが、こんなに動揺しているなら伝えておくべきだろう。
　いや、でも目を覚ます直前に何か――

「怜ちゃんとの夏の思い出にとっといた！　大事な！！」

　ぷるぷると震える指で唇を押さえる光に、レオンは真っ白になった。

（え、狗条ってそういうキャラなの？　つーか、なんで唇）

　つられて自分の唇を触ってみると、光がぶわっと赤くなる。
　いや、確かに目を覚ます前に何かがぶつかっていた気はするのだけれど。

「……え？」

　ちょっと待ってくれ、誰か落ち着いて説明――はしなくていいから、嘘だと言って欲しい。

「どう落とし前つけるんだ滝原レオンっ！」
「うるせーな、上書きしてくればいいだろ」

　背中も痛いしさっさとどいて欲しい。その一心で言い放った言葉をレオンは理解していなかった。
　みるみるうちに光は輝かんばかりの笑顔を見せ、その見覚えのある顔に背中がゾクリとする。

（そうじゃん、こいつが上書きしたい相手って……）

「た、たまには良いこと言うじゃねぇか滝原レオン！」
「いや、今のは……っ！」

　ご機嫌に去って行くレアな光を、レオンは形容しがたい表情で見送っていた。