【戦闘狂の唄】

「わははは、二人の足跡デカへぶぅーーー」
　鉄拳制裁、床へ転げる雨梨栖 芹香。日々の通例、お定まり。
　外は滝のような豪雨だった。吉住 志桜里、吉住 獅百合と駆けこんだ古武術道場の板張りにぺたりと残る濡れた足跡を、芹香は笑った。
　確かにそれらは、１７歳の女子高生が踏みしめた痕跡にしてはデカいのだった。志桜里は堂々たる２８ｃｍ、妹の獅百合に至っては３０ｃｍオーバー、確かにこれがなかなか怪獣めいた数字だったりする。


「いやいや芹にゃん、笑うけどね。この足がしっかり根を張った重心作りには大事なんだよー？　まあ靴を買う時困るけど」
「あはははははは！！」
　転げるままに芹香はけらけらと笑う。
　そんな悪友へ志桜里はゆっくりと足を振り上げ、ぎゅむっと踏みしめるのもまたお定まりである。芹香は急速自己治癒という不死身めいたろっこんの持ち主であるから、制裁にも遠慮はない……のだが。
「ひょえっ」
「……？」
　振り上げた足がぎゅむっする直前、芹香の顔が少しばかり歪んだのを、志桜里は見逃さなかった。ちゃらんぽらんなところのある獅百合は気付かなかっただろうが。
　日常のじゃれ合いのはずが、志桜里の内面にふつふつと沸き上がるのは、これが何故だか怒りだった。
「どーしたパンＴ、顔が怖いぞ？　ムカついちゃったのかい？　足がデカいのを指摘されてイラッとしちゃったのかな？」
「あー……芹にゃんこれ、クロ、本気で怒ってない？」
　あだ名が乱れ飛ぶあたりは気の置けない友人同士のやりとりに聞こえたが、志桜里の静かな微笑みは確かに、内面にたたえた抑えがたい激情を無理やりに押し留めている時の顔だった。
「……着替えましょう。その後で、芹香……」
「ああ。うん」
「まずは私と、ね」
　古武術道場でやり合うとなれば、組手や乱取りを想像しよう。しかしながら彼女らの稽古は稽古と呼ぶにはいささか激しい。
「芹香のくせに……縮めずにボコりたくなったわ」
「何て？」
　応える代わり、固めた足先が鋼のごとく半身を起こした芹香の頬を蹴り抜いた。



「いいな～、クロも芹にゃんも。私もヤリたいよ～」
「まあ待ちなよ、しおパンの気が済んだらへぶぁーーー！」
　きりもみ回転。芹香はごきゃんと脳天を道場の床と壁に強打しつつ吹き飛んだ。
　志桜里と数々の勝負を……その内容ときたら実に多岐に渡るのだが、ともかく幾度となくぶつかり合ってきた芹香。その実、彼女の武道の腕前はといえば、志桜里の足元にも及ばない。勝ったことなど一度でもあっただろうか。
「さすがの回復力ね」
「まあねえ」
　それでいて二人が並び立っていられるのはやはり、芹香のろっこんがあってのことだろう。受けた傷を驚異的な速さで治癒してしまう能力があっての、彼女ら二人のバランスなのだ。
　だが……今日の志桜里は、それがひどく気に入らなかった。バランス。力の差がありながらも拮抗していることに、無性に腹が立った。
　激しく降られてぐっしょり、雨濡れたせいだろうか。
「気づかなかったわ。芹香。黙ってたわけね」
「は？　何をさ」
「傷が治ることと、痛みは別物だって」
「あ～。ああ、ね。うん」
　先に芹香が一瞬怯んだのは体格差からくる恐怖心ではなく、直後に訪れる痛苦を想像してのことだったのだろう。
　考えてみれば、それはそうだ。ろっこんはあくまで一人に一つ、治癒能力と痛覚の遮断は別個の能力だ。芹香がそれを両立させているはずもない。
　今の今まで志桜里にそうと気づかせなかったのは、
「あなたのハートの強さの賜物、というわけ？　痛みが無いから懲りないのだとばかり思っていた私が、バカみたい」
　いくら打撃しようが、締め落とそうが極めようが、その心が折れない限り、芹香に敗北は無い。
　その心までも、あちらに分があろうとは。まるで痛みを表に表していなかったとは恐れ入る。
　立ち合いにおいて常に優位に立っていたはずの志桜里にとって、この上ない屈辱に思われた……少なくとも、今日の雨の日に胸の内はすこぶるささくれ立った。
「そんなの、気に入らない」
「ふふん。気に入らないなら、どうするんだ？　ほら、どうするのさ、パンＴ」
　あっという間に無傷な芹香の挑発も絶妙に、志桜里の胸を突く。
　すかさず踏み込み鳩尾へ突き、側頭部へ蹴りをくれ、流れるように鼻っ柱へ肘鉄をぶちかます。
　悪友にして宿敵は踏み止まって倒れもせず、にまりと笑むのみだ。
「さあて。どうしてやろうかしらね……♪」
　


　殴って蹴っては投げ飛ばし、踏み止まって蹴倒され、その上二人でにんまり笑い合う。
　そんな一連の巡りを、幾度か眺めた後に。
「っだ～～～～～～！！」
　ついに限界、ぱちんと弾けるように獅百合は飛び込んだ。ついでに姉へ一発、不意打ち上等の前蹴りを顔面へぶち込み、芹香を踏み倒しながら雄たけびめいて叫ぶ。
「も～～～、いつになったら私に構うのさ、二人とも！」
「痛ぅ……やってくれるわね、シロ」
　身長１９０ｃｍで繰り出す跳び蹴りの威力たるや、志桜里の頭をぐらぐら揺らし、芹香の頭などそのまま踏み砕かんばかりだ。
「ほら芹にゃん、この大足もこーしてちゃーんと、技に活きてるでしょ？　ほーれほーれ」
「おうぐェ。そ、そーね……分かったから、そのバカデッカい足を退けてくれるかな？」
「やーだよん♪」
　ぐりぐりぐりん。
　猛進を信条としながらもそれを可能とする技巧を持ち合わせる志桜里に、尖り抜いたタフネスを持つ芹香。
　対して獅百合はといえば、それらをまとめてねじ伏せる、圧倒的フィジカルが持ち味だ。
　そしてそれに起因してか、獅百合のメンタルもまた剛毅が服を着て歩いているかのように図太い。些末事などその身が弾いて退けるのだ。
　志桜里も、獅百合も、ことによれば芹香も、いわば同じ穴のムジナというやつかもしれない。戦闘狂のバトルマニア、闘志の塊。
　つまるところ神魂はらむ大雨など、獅百合には、彼女らにはさしたる影響もなかったのかもしれない。日々の光景、やっぱりこれがお定まりなのだった。
「速さも技巧も頑健さも、ことごとく膂力で圧し砕くのが私のスタイル。虫けらのように踏み潰すのも込みでね……さぁ、ちゃーんと私を構わないと、纏めてぺちゃんこだよっ！」
「言ってくれるね。どーする、しおパン」
「とりあえずあなたを潰して、そのあとシロも潰すわ。あらためて……勝負！！」
　志桜里の突きに芹香が跳ね、獅百合の大鎌めいた蹴りが志桜里を薙ぎ、芹香はけろりとして不敵に笑う。足も拳も雨あられ、これもまたどしゃ降りか。



「っしゃーーー私の勝ちィ！！」
　一人歓喜の勝どきを上げる獅百合の背中を見上げながら、並んで倒れ伏した宿敵へ、志桜里は笑いかけた。
「芹香……」
「んー？」
「まだ収まらないから、後でもっかい潰すわね」
「……ああそう」
　道場の格子窓から覗く曇天から落ちる雨が、未だ軒先に湿ったリズムを鳴らし続けている。
　けれど志桜里の胸にわだかまっていた重たい何かは、まるで溶け出してすっかり流れてしまったかのように消え失せていた。
「しおパ……志桜里？」
　雨音は止まない。それでいい。志桜里は仰向けのまま手足を弛緩させ、心地良い疲労がもたらす眠りに身を任せた。