見えない観測者｜リアクション

見えない観測者

　気付いた時、仲秋薫は宙に浮かんでいた。
「どうして私が……」
　先の言葉が出ない。自身の姿を見ると白く濁った半透明。二度目の衝撃を受けた。
　声もなく、宙を漂っていると一方に身体が流れる。周囲を見て、あ、と短い声を上げた。斜め下にパンツルックの薫がいた。しなやかな手足をゆったりと動かし、綺麗な姿勢で歩いている。
　その頭頂には見慣れない一本の白い線が伸びていた。
「私と繋がっているようです」
　自身の頭を手で探って理解した。
「それにしても」
　冷静な顔で薫を見下ろす。
　――見惚れる容姿です。もちろん、美しいことはわかっています。眼鏡やマスクの下の素顔を私は知っています。
　ビデオや写真では、その美しさの全てを伝えることができません。画素数が足りないせいで拡大すると粗が見えます。鏡は平坦な上に左右が逆になっていて完全な再現には程遠い状態です。
「ですが、今、私は最高の状態の自分を見ています！」
　両方の拳を握り、小刻みに身体を震わす。思わず、感動で目が潤む。
「視界がぼやけます！」
　怒って両目を擦ると凛々しい表情となった。薫の観測者として細々とした動きに目を向けた。
　薫の横手から風が吹いた。乱れた髪を軽く掻き上げて直した。
「流れるような動作が美しいです……そうですね。今の場面では、もう少し掌の角度を外側に向けた方が美しい艶を強調することができたのではないかしら」
　完璧に思えた美しさには改善の余地があった。自分を見る目が厳しくなる。大気を手で掻いて速やかに降りた。
　――上からの視点は大事ですが、それだけでは十分と言えません。色々な角度で自分の美を極めていく必要があります。
　横に並んで薫の全体を眺める。
「背筋や足の運びに問題はありませんが、もう少し上下動を大きくした方が髪や胸に振動が伝わって魅力が増します。正面はどうでしょうか」
　後退りで一定の間隔を保ち、目を素早く上下に動かす。
「体幹を鍛えているおかげで左右への揺れはありません。手足の動きが上手く連動していて、とても美しいです」
　柔らかい笑みを強引に真顔へ戻す。
「まだ安心はできません。通常では見られない位置から観察します」
　薫の横手に素早く回り込む。極端に上体を下げて顔を上に向ける。じっくりと見る前に通り過ぎた。
　三回の挑戦は全て失敗に終わった。
「歩く速度に付いていけないとは。仕方ありません。最後の手段に出ます」
　先回りをすると歩道に仰向けになった。期待して待ち受ける。
　薫が近づいてきた。目を少し左に向けてヒップラインを直視。通り過ぎたあと、ふわりと宙に浮かんだ。
「カーブの部分が少し気になります。想像していた理想の形に近いのですが……」
　考えている間に薫との距離が開く。白い線は限界まで伸びて急に強い力で引っ張られた。強風に煽られた風船のように身体が不安定に揺れる。
「あ、そんな、引っ張ったらダメですって！」
　手足をバタバタさせてようやく安定した。
「びっくりしました」
　ほっとした直後、周囲の人々に目がいく。誰とも視線は合わなかった。それでも居心地の悪さを覚えて瞬きの回数が極端に増えた。
「美しい私に相応しくない行動でした。これからは美しい観測者として対応します」
　空中で立位の姿勢を取る。左手を軽く腹部に巻き付けて、その上に右の肘を置いた。顎先は軽く手で包み、伸ばした人差し指で品の良い唇をなぞる。
「私達は共に美しい」
　観測者は妖艶な笑みを浮かべた。

　翌朝、薫はいつもの時間に目を覚ました。上体を起こすと長い髪が瞬く間に顔を覆った。近くに置いていた眼鏡とマスクを装着して立ち上がる。
「私達は共に美しい」
　その一言で朝のストレッチが始まった。

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