見えない観測者｜リアクション

見えない観測者

　宙に浮かんでいた本条小萩は小首を傾げた。
「ふむー？」
　下には小萩がいて制服に着替え始める。
「そこの小萩さん、上を見るのです」
　反応はなかった。
「聞こえていません。今の小萩は生霊の状態で認識されないのでしょう」
　自身の姿を見て納得した。視線は即座に下の小萩へ向けられた。着替えの様子を熱心に見つめる。
「制服に着替える姿に無駄がありません。洗練された動きは見ているだけで心が震えます。このように凄い小萩を観察できる日がくるなんて……」
　うっとりした表情で宙を漂う。ふと我に返り、頭を左右に振った。
「呆けている場合ではありません。しっかり凄い小萩を観察しないと。着替えが終わったようです。小萩が制服の胸の辺りを摘まんで引っ張っています。お胸が育って少しきついのです。わかります。小萩ですから」
　宙に浮いていた小萩は泳ぐようにして下に降りた。正面から自分の姿を眺める。
「顔は文句無しに可愛いです。長い髪は清楚でいて華やかさを秘めています。お胸もあってセクシーな一面を併せ持っています。究極のヴィジュアルと言えるでしょう。もしかして人類の美を通り越して、女神の域に達しているのかもしれません。さすがは小萩なのです」
　腕組みをしていると小萩が向かってきた。当たることはなく、擦り抜けた。それに合わせて後ろを振り返る。
「小萩が立った姿で靴を履いています。美の女神が泉に指先を浸しているような神々しい姿に目頭が熱くなります」
　言いながら小萩の横に移動。靴を履き終えると手をドアノブに伸ばす。
「何げない動作の中に品格があります。落ち着きのある態度は優雅で、超一流の女優が日常を演じているように見えます。ただの一場面が小萩の圧倒的な存在感によって極上の短編映画になっている、と言っても過言ではありません」
　実況の声に熱が籠る。若干、早口になっていた。
　小萩は握ったドアノブを回して部屋を出た。もう一人は横並びで付いていく。
「小萩の軽やかなステップは一流のダンサーと比べても見劣りしません。歩く速度は一定ではなくて、微妙な変化を加えています。観客を想定した動きに見えます。心憎い演出と言っていいでしょう」
　小萩は堂々とした態度で寮を出た。もう一人は宙を飛んで観察を続ける。
「凄い小萩は目立った行動をしなくても他者の目を惹き付けます。横を擦れ違った若い男性は腕時計を気にしています。その行動、よくわかります。美の女神が視界に入ったことで胸の動悸が収まらなくなり、素数を頭に浮かべるのと同じ意味で時間を見ているのです」
　自説に大きく頷いた。
　その時、道路を挟んだ歩道で男の子が転んだ。泣くことはなかったが赤くなった膝に手を当てた。
「小萩の魅力は小学生の男の子にも影響を与えます。目を離せなくなって転んでしまったのです。本当は泣くほど痛いのですが、小萩に情けない姿を見られたくはありません。奥歯を噛み締めて耐えている姿が何ともいじらしいです」
　周囲を気にすることなく、小萩は弾むように歩いた。腰の曲がった老人が前にいて少し速度を落とす。
「小萩のさりげない優しさが胸を打ちます。簡単に追い抜くと老人のプライドを著しく傷つけてしまいます。一生、心に残る傷になるかもしれません。そのことに瞬間的に気づいて、すぐに行動に移しました。聖母のような優しさの一端に触れて、感動の大波に溺れてしまいそうです」
　大きな溜息を吐いた。
「観察している数分が永遠に思えます。この状態はいつまで続くのでしょう。凄い小萩を見せ付けられてもう……ふふー」
　蕩けたような笑みで共に正門を通り抜けた。

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