鷲尾先生の憂うつ｜リアクション

鷲尾先生の憂うつ

　ゲームを終えたふたりは、ひとつ下のフロアに入っていたカフェで一息ついていた。
　少し暗めの照明が大人っぽく、寝太郎は「先生は普段こういう店でお茶してるのかなあ」なんてことをぼんやりと思っていた。そのことと先ほどまで一緒に遊んでいた時間を比べると、なんだか距離が空いた気がしてちょっとだけ寝太郎は淋しくなった。
　テーブルの上には、シナモンスティックが添えられたカプチーノがふたつ。何を注文して良いか分からず、礼美と同じものを頼んだからだ。
　これは、先に食べて良いのかな？
　寝太郎がシナモンスティックを口へ持っていこうとすると、礼美がそっと手を押さえ、寝太郎のカップの中へと入れた。
「こうするとね、シナモンの香りがついて美味しくなるの。食べちゃダメよ」
　さっきまでとは別人のような大人っぽいその仕草に、寝太郎は終始どぎまぎしっぱなしだ。カップの中でスティックを回すその指の動きすら色っぽい。
「せ、先生は」
「うん？」
「先生は、こういうところによく来るんですか」
「そうね、ストレスが溜まった時たまあに、かな」
「なんていうか……意外でした。先生がああいうゲーム好きっていうのが」
「そう？」
「しかも、すごく上手いし」
　先ほどの時間が嘘なのでは？　と思うほど落ち着き払っている礼美へと、寝太郎が正直な感想を伝える。礼美は多くは語らず、代わりに唇へと指を当てて短く告げた。
「秘密ね」
　そう言って微笑んだ礼美は大人のようで少女のようでもあり、寝太郎は胸のどきどきを止めることができないでいた。
　このままでは鼓動が聞こえてしまうかもしれない。誤魔化すかのように、寝太郎は言葉を発した。
「何か……ストレスになるようなことがあったんですか？」
　少しの沈黙。それから、礼美が口を開く。
「そうね……何かあった気もしたけど、遊んでいる間に忘れちゃった」
　本心なのか、学生に対しては教師であろうとする姿勢の表れかは分からない。ただ言えるのは、学校で見た物憂げな礼美の姿は今ここにはなかったということだ。
　自分も社会に出たら、良い加減で自分の機嫌と向き合えるようになれたらいいなあ、なんてことを寝太郎は思う。
　シナモンの香りが、ふたりの間で静かに漂っていた。

◇

　それから少し経った頃。
　再び保健委員の当番になった寝太郎は、保健室で仕事をしていた。もうすぐ終わりそうだ、というタイミングで扉が開き、礼美が入ってくる。
「お疲れ様、いつもありがとう」
　寝太郎が軽く頭を下げ、礼美は自分の机へと座る。
　この前は楽しかったなあ、なんてことをぼんやり思っていると、寝太郎の視線は無意識に礼美へと向けられた。
　それに気付いた彼女が顔の向きを変え、ふたりの視線がぶつかる。
　礼美は、指を銃の形にして人差し指の先端を寝太郎へ向けた。その表情は、全力で遊んでいたあの時と同じだった。大人なのに子供っぽくて、子供っぽい表情なのに大人で。
　敵わないなあ、と寝太郎は思うのだった。

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