夜が始まる｜リアクション

夜が始まる

　薄暗い桜花寮の一室、二段ベッドの上段から静かな寝息が聞こえる。
　羽生碧南は真剣な目で机と向き合う。スマートフォンで遊べる乙女ゲームのイベントに参加していた。得られるアイテムは水色のチュニックで特定の男子に絶大な効果を及ぼす。
　碧南は弾けるような笑顔となった。拳を握って声なき喜びを爆発させる。アイテム欄には新しく水色のチュニックが加わった。
　間もなくスマートフォンの電源を落とした。机のスタンドの明かりも切った。
　大きな身体を丸めて二段ベッドの布団に潜り込む。掛け布団を顎の先端まで引っ張り上げて満足した顔で瞼を閉じた。

　鳥の囀りが聞こえる。
　碧南は目を開けた。背中を丸めた状態で上体を起こし、中腰の姿でそっとベッドから降りた。
　大きく伸びをする。眠たげな目を擦り、何度か瞬きをした。
「……なんだろう？」
　怪訝な顔は変化を感じ取る。周囲に置かれた物に目を向けた。
「大きくなった？」
　口にして、違う、と瞬時に否定した。
　碧南は洗面所に走る。鏡に映る自身を見て、あっ、と小さく声を上げた。
「小さくなっている！？」
　鏡に映る顔の位置が違う。通常と比べて二十五センチくらいの差があった。
　驚きが過ぎると碧南は鏡に顔を近づけた。角度を変えてまじまじと見詰める。
「私って、こんなに可愛いのね」
　満足して部屋に戻ってきた。着ていたパジャマを脱ごうとして、動きが止まる。小さくなった身体にぴったりのサイズになっていた。
「もしかして……」
　自身に宛がわれたクローゼットを確かめる。小ぶりのサイズの可愛らしい洋服が数多く収納されていた。引き出しには愛らしい下着の数々が詰め込まれている。
　上体がふらりと揺れる。目尻は下がり、小鼻が膨らむ。大笑いしそうな表情で辛うじて堪えていた。
　碧南は二段ベッドの上部に目をやる。音を立てないようにして階段を上がって中を覗き込む。すでに起床を果たし、もぬけの殻となっていた。
「ということは！」
　飛び降りた碧南はクローゼットに駆け寄る。パジャマを脱ぎ捨てて目に留まったワンピースに着替えた。白い生地に赤い野ばらが咲き誇る。袖の一部はレースになっていて愛らしさの中に気品が漂う。
　碧南は踊るような足取りでくるりと回る。スカートは軽やかに広がった。
「私は可愛い。絶対に可愛い！」
　碧南は鼻先をやや上に向ける。ファッションショーの舞台に上がった気分で腰を振って歩いた。
「次は、これがいいわ」
　満足すると別の服に着替えた。水色のチュニックは腰の部分がくびれていてスカートの丈は短い。愛らしくもセクシーな要素が含まれていた。
　先程とは違って静々と歩く。
「なんか、恥ずかしいんだけど」
　少し慣れてきた。自然な歩き方で笑顔を湛える。クローゼットには各種、帽子が収められていた。
　碧南は鍔広の白い帽子を被った。
「これで外を歩いたら」
　頬がほんのりと赤く染まる。恥じらいながらも目は本気の度合いを強めていった。

　脱ぎ散らかした服が散乱した。碧南は見つけたアクセサリーを身に付けて新しい服に身を包む。
「ああ、夢みたい。もう、最高……」
　落ちていたシルクの服を踏んだ。足が滑って頭から転倒した。
「……意識が……黒く……」
　声は途絶えた。
「どうして！」
　怒ったような表情で目を開けた。直後に気の抜けた顔になる。いつの間にか二段ベッドの一段目に寝かされていた。
　碧南は怪訝に思いながらも上体を起こす。頭が上に当たった。中腰でベッドから降りて背筋を伸ばす。
「小さくなった？」
　口にした途端、大股で洗面所に向かう。鏡を見ると顔は上部にあった。頬の辺りがぷるぷると震えている。
「夢みたいと思ったら、夢だったのね」
　苦笑に近い笑みを浮かべた。

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