寝子島の風にのって、ぱーたぱた｜リアクション

寝子島の風にのって、ぱーたぱた

　柔らかい土を踏み固められて出来たような素朴な道に春が訪れた。両側には桜が植えられ、薄青い空の一部を淡紅色に染め上げる。春は風にも染み込んで訪れる者達を甘く包み込む。
　道を歩く八神修の表情は明るい。弾む心が足取りにも表れ、空色のジャケットの裾が軽やかに翻る。
　隣には七夜あおいの姿があった。ピンクの服に合わせた群青色のオーバーオールが愛らしく、澄んだ青い瞳は桜と空のコントラストを純粋に楽しんでいた。

　二人の距離は近い。歩いていると手の甲が微かに触れる。あおいは気にしていない様子で風に舞い散る花弁に笑顔を向けた。
「修君、きれいだね」
「そうだな。とても綺麗だ」
　修はあおいの横顔に向けて言った。想いが伝わったかのように本人と目が合った。
　慌てた修は近くの枝にいた黄緑色の小鳥を指差す。
「あそこにメジロがいるよ」
「え、どこどこ？」
　あおいの意識が他に向いた。修は軽く息を吐き、ほんのりと桜色に染まった頬で説明を始めた。

　多喜美律は春らしい色合いのパーカーを着ていた。腰の辺りには深海生物のメンダコが浮かれたように揺れている。
「これが春の姿だよ！」
「そうだねぇ。空気の匂いまで春って感じかなぁ」
　並んで歩いていた多喜勇生が眼鏡の奥の目を細めた。黒のインナーに白いシャツを羽織り、インディゴブルーのジーンズを合わせた。
　美律は横目で見やる。
「イサ兄の格好は悪くないんだけど、眼鏡が野暮ったいんだよ。コンタクトにすればいいのに」
「たまにはしているんだけどねぇ」
「なんでたまになの？」
「僕は釣り目だからねぇ。しかも三白眼で、人に威圧感を与えると思うんだよねぇ」
　苦笑いを浮かべる勇生に美律は鋭い眼光を向けた。
「あたしも釣り目なんだけど」
「美律ちゃんはかわいい釣り目だから問題ないかなぁ」

「はぁ？　ダサ兄に言われても全く嬉しくないんだわ」
　吐き捨てるように言うとそっぽを向いた。抑え切れず、初々しい乙女の顔で微笑んだ。
「は、はは、そうだよねぇ」

　自嘲の笑みを浮かべる。
　その時、突風に近い風が吹いた。桜の花弁が乱舞して全てを淡い色に一新した。
　美律は笑顔を爆発させた。両腕を広げて力強い歩みとなる。
「圧倒的な春なのだわ！」
「本当に綺麗だねぇ」
　勇生は顔を上げた。花弁を受け止めるように掌を掲げた。
　険悪な空気は消し飛び、二人は桜色に包まれた。

　桜を楽しむ人々を余所に二人は天眼鏡を手に周辺を見て回る。茶色の帽子を被り、同色のインバネスコートで決めていた。
　ブリジット・アーチャーは中腰の姿勢で桜の幹を見詰める。何かを発見したのか。天眼鏡を通して子細に調べる。垂れ下がってきた長い金髪は素早く手で払った。

「小動物が引っ掻いたような跡があるわ。二本の爪跡がはっきり残っていて、左右にもう一本、あるわね。ズバリ、猫の仕業ね」
「ブリジットさん、その爪痕は他の動物かもしれませんよ」
　しゃがんで猫を観察していた神野美野梨が冷静に返す。ブリジットは青い瞳で下方を見やる。
「この島の猫の数を考えたら可能性は高いと思うんだけど」
「猫なら左右の爪跡もはっきり残るわ。不揃いの爪の長さを考えると、狸の仕業が濃厚なのでは」
「美野梨、良い着眼点ね」

「話は変わるんだけど、猫の肉球が興味深いわ。色によってある程度の性格がわかるらしい。この猫は茶色とピンクだから活発でいて、甘えん坊の側面もあるわね。人懐っこいところがそれらしいわ」
　向けられた天眼鏡が気になるのか。猫は前脚を何度も伸ばした。
　そのような二人にも桜は平等に舞い落ちる。

「わー、すごいんだよぉ」
　曖浜瑠樹は声を上げた。満開の桜に囲まれた道に一歩を踏み出す。眠たげな目は自然と丸くなり、腕を振って歩いた。
　水色のパーカーの裾を風にはためかせる。半ズボン姿で弾むように道の中央を突き進む。同じように桜を楽しむ人々に屈託のない笑みを浮かべた。