そろそろ、冬支度。｜リアクション

そろそろ、冬支度。

　　　３

「……なぜに私はこんなところにいるのでしょう？」
　楡宮遠海は呆然と呟いた。
　冬物を安く手に入れようとシーサイドアウトレットへ向かったはずが、なぜか旧市街の表参道商店街にいた。
　単純に電車内で居眠りしていて、うっかり降りる駅を間違えただけなのだが、改札口を通るまで気付かなかったのが遠海らしい。
「……やり直し」
　幸い、定期券があるので運賃が無駄になることはない。駅へ戻りかけた遠海は、掲示板に貼られたポスターに気が付いた。
　正月用の重箱のイラストに添えられた、
「特製おせち大試食会。予約受付中！！」
の文字。どちらも手書きである。
「おせち……」
　そういえば、昼食がまだだった、と思うや否や、腹がぐうと主張する。
「試食……まあ、ちょっとなら」
　遠海は踵を返し、商店街へと向かった。
　各店、サンプルとしてのお重を並べ、その横で試食品を提供しているらしい。
　おせち料理の基本は、祝い肴三種、煮しめ、酢の物、焼き物だ。地方地方によって、その構成は異なる。たとえば、三つ肴の内容は関東では黒豆、数の子、ごまめの三種、関西では黒豆、数の子、たたきごぼうの三種だ。遠海の家は鎌倉だから、前者になる。
　しかし最近では、中華料理、西洋料理など多種多様になっている。
　商店街の入り口に最も近い店では、シンプルな構成だった。遠海はこの店で、黒豆を頂いた。
「おいしい……」
　うっとりと呟く。柔らかさも甘みも絶妙だ。しわも全くない。黒く日焼けするほどマメに働けるように、無病息災を願ったものだ。駄洒落か、と内心、ツッコミを入れる。
　次にたけのこを摘む。成長が早いので子供がすくすく育つように願った、天に向かって伸びるので立身出世を願った、成長する様子を家の繁栄に例えたなど様々な説がある。これも駄洒落か。
　更に昆布巻き。「喜ぶ」の語呂合わせ。……また駄洒落。
「ごちそうさまでした」
　同じ店ばかりで食べるのも申し訳ない。遠海は、ハンカチで口元をさっと拭い、にっこりと礼を述べる。ちゃんとその店のチラシも貰った。
　次の店は、高級品を売りにしているらしかった。なんと、焼き物のエビが伊勢海老なのである。
「残り僅かだよ？」
「いただきます」
　そう言われたら、食べないわけにいかない。切り分けられた伊勢海老をちょんと手の平に乗せ、ぱくりと口に含む。
「――おいしい……！」
　それ以外の言葉がない。税抜き価格二万円にくらりとしながらも、この店のチラシも貰う。
　その次は、西洋料理がメインだった。市松サラミチーズやローストビーフ、スモークサーモントラウトのマリネなどを試食する。これも実に美味しい。
　隣は関西風のおせちだった。穴子の八幡巻きを口に入れ、頬が綻びる。八幡巻きは、ウナギとゴボウの相性が最もいいというが、穴子も悪くなかった。
「……口直しが欲しいかも」
　自販機を探し、きょろきょろと辺りを見回すと、和菓子屋が店先で何か宣伝していた。
「あの、こちらは何を……？」
「いらっしゃい。雑煮の試食だよっ」
　どうやら店で搗いた餅を雑煮にして、振る舞っているらしい。ふうふうと冷まして啜る。餅以外の具は入ってないが、昆布、かつお節、煮干しで出汁を取ったすまし仕立ての雑煮は、何とも言えぬ上品な味がした。
　搗きたての餅も美味く、遠海はお土産に買うことにして、次の店に向かった。
　合鴨オレンジ風味、たたき牛蒡、自家製スモークサーモン、カブの柚香漬け、子持ち鮎甘露煮、伊達巻、数の子……と、商店街全ての店で試食した遠海は、三センチ近い分厚さになったチラシを抱え、電車に乗った。
「今度のお正月は、どこかに頼んでもいいかも……でも、どこも美味しかったし……」
　チラシを眺めながら、遠海は真剣に悩むのだった。

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