はじめての体験｜リアクション

はじめての体験

　日曜日。高校３年生の佐和崎紗月は寝子島スポーツセンターの温水プールにいた。
　音楽専攻で水泳は学校の授業で習った程度の紗月が、なぜこんなところで水着を着ているのか。

　来年に大学入試を控えている紗月は、今の調子なら志望校へは合格圏内と言われている。
　とはいえ、油断したらあっという間に成績が落ちてしまうので気は抜けない。
　けれど根を詰めてばかりでも気分が滅入ってしまうのは確かで……少しばかりナーバスになっていた。
　そんなモヤモヤを抱えながらぼんやりと街中を歩いていたら、何かチラシを渡された。
　『寝子島スポーツセンター』『温水プール』等と書かれたチラシ。
　優しい紗月は、チラシを断るということができない。
　とはいえ普段なら適当なごみ箱に捨てるところだけど、その時に限って捨てる気になれなかった。
　別に恋人と一緒に泳ぎに行こうというわけでもなく、自分でも明確な理由は説明できないけれど。
　そのままスポーツセンターに行き、若い係員の指示に従って会員登録した。
「こちらに記入してください」
　料金を支払い、利用者カードを発行してもらう。
（新しいことをするのって、気持ちがいいものね）
　普段内向的な紗月だけれど、考えてもいなかった見慣れぬ場所でいつもと違う行動をするのは不思議に楽しかった。
「今日は水着とか持ってきてないけど……」
「それなら、売店で帽子と水着、ゴーグルやタオルも買えますよ」
　一式買うと安くはなかったが、幸い財布の中には十分なお金があった。
　そんなわけで紗月は、こうして水着姿でプールサイドにいる。

　屋内のプールサイドは暑くも寒くもなくちょうどいい気温だった。
　プールでは老若男女が泳いでいたが、混雑しているというほどではない。
　内向的で人見知りが強い紗月だが、プールの人たちは紗月に特に興味を示すことはなくマイペースに泳いでいる。
　準備体操などを終え、ゆっくりと水に入る。
　入った途端、優しく水に包まれる心地がして、人の目のことなど完全に忘れてしまった。
　そして紗月は泳ぎ始めた。
　冷たくはない水が肌に心地よい。
　それなりに泳げる紗月だが、今まで水泳そのものを積極的にしようとは思ってなかった。
　その意味では初めての体験と言える。
　
　ゆったりとしたレーンは一方通行で、人にぶつかる心配もなくのびのびと泳げる。
　スピードを上げようとするのでもなく、ただひたすら無心になって泳いだ。
　ただそれだけなのだけど、それがなんだか楽しかった。

　しばらくして少し疲れ、プールから出る。
　水から上がるときの体が軽くなった感じが、なんとも爽快だ。
（気が向いたら、また泳ぎに来ようかな）
　そんな風に思った。

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