●即納する人々

「……ち。めんどくせえな」
　本宮 虎治は舌打ちする。２年生である彼は、選任戦の騒ぎ具合を経験上知っている。
　面倒事はうんざりなタチなので、渡すものをとっとと渡して幼馴染の家に避難することを即決した。
　自治会費６ヶ月分５４００円を茶封筒に入れた。６か月分なのはいちいち払うのが面倒なだけだ。普段も６カ月毎に払っている。
　投票するなら逆巻か、と虎治は考えた。
　稀に跳んだ行動も見られるが、基本落ち着いているような印象だったからだ。そこで天野の部屋を目指す。
　すると、当人の隣の部屋からお目当ての天野が伸幸を伴って飛び出してきた。天野の姿がジャージに軍手だったので首を傾げながらも、
「ほらよ」
　と虎治はぶっきらぼうに茶封筒を差し出す。
　天野は、ありがとうと言ったが、その後虎治の耳元に何やら囁いた。
「……そうか。そういうことになったら……」
　虎治もまた天野になにやら返答し、茶封筒を天野に預けると踵を返す。
　その虎治に頭から突っ込んで来たのは真央だ。
「てーい！　ご協力お願いしますなのだー！」
　腹筋めがけた頭突きをひらりと躱す。真央は勢い余って廊下にずべべと顔面スライディング！
「悪ぃ。あと、会費ならもう他の奴に渡したから」
「そうなのかー。残念だけど仕方ないのだー」
　くじけず、てへへと笑う真央に手を差し伸べると、虎治は尋ねる。
「あんたさ。苺の、タルトかショートケーキ、どっちがいい？」
「真央ちゃんはショートケーキが好きなのだー」
　真央を引き上げ、そうか、と言うと、虎治は今度こそ踵を返して猫鳴館を出て行った。
　真央はその背を見送りながら、首を傾げる。
「今の、なんだったのだー？」

◇

　大福の元に一番乗りしたのは、同じ風紀委員の間宮 芽瑠だった。
　芽瑠は大福に６ヶ月分５４００円を手渡す。
　早いね……と驚く大福に、芽瑠はクールな口調でこう告げた。
「強奪されたら身を守る自信は有りませんので、その為にも会費は納入してしまいたいと思ったのです」
　大福はたしかにね、と相槌を打つ。大福の脳裏に某氏とか某氏とかの顔が浮かんでは消えた。
「どうして俺に？」
「同じ風紀委員として少しでもこの寮を良くしたいと思ったからですわ。ある程度の節度はもちたいのです」
　それではごきげんよう。そう挨拶すると、芽瑠はひとつに結んだ灰色の髪を爽やかになびかせながら、その場を去った。
　入れ違いにやってきたのは広島出身の秋 もみじだ。
「できる事はちゃっちゃとやってしまわないと気がすまなくてさ。払えるだけ払っとくよ」
　そう言うともみじも６ヶ月分５４００円を支払った。
「ホントは三年分払えたらいいんだけどね。で、洗剤とかオマケにつかないの？」
「どこの新聞屋だよ」
「あははっ、冗談だよ。明日は広島風お好み焼きを焼くから良かったら食べに来てね」
　シャキンとコテを構える真似をして、もみじは赤いツインテールを揺らし笑った。

◇

　士の元に一番乗りしたのは初島 優だ。このふたり、付き合いも深い方なので、「はい」「ああ」のやりとりのみでサクッとしたものである。優の６ヶ月分５４００円はこうして士の手に渡る。
　次に士の元を訪れたのは、マウル・赤城・スティックだった。
　マウルが士に手渡した６ヶ月分５４００円にはこんな逸話がある。

　――四月の終わり。
　マウルはとある外洋観光船の舟着場にいた。
　鴎が高く、低く、飛んでいる。デッキブラシに凭れて一息つくと、潮の香りが肺を満たす。
　マウルはオーストラリアにいるアボリジナルのハーフで、オーストラリアにいた頃、船の甲板磨きのバイトをしたことがあった。そのとき、観光船の船主は休日の前になると甲板磨きのための人材を欲しがるものだということを知った。
　ここ日本でも同じではないだろうか。そう踏んだマウルが、ゴールデンウィークを前にした舟着場で聞き込みをしたところ、まさに船主たちは船の整備の真っ最中だという。その恵まれた体躯を見、甲板磨きの経験があることを知った船主が、マウルを放っておくわけがない。かくして、マウルはゴールデンウィーク前の甲板磨きという非常においしいバイトにありついたわけだ。
「おう、バイト。うまいもんじゃねえか」
　煙草の脂で歯をまっ黄色にした船員ふうの男がマウルにそう声を掛けてくる。背丈はマウルより頭二つ分は低い。
　マウルは小さく肯いて見せる。すると男は、
「お次はこいつだぜ」
　と、椰子の実を半分に切ったものを差し出した。
「椰子摺りってんだ。甲板に水と砂を撒いてこいつでごしごしやる」
　椰子の断面がたわしのような役割を果たすのだ。船の堅いチーク材の甲板が、それで磨くとピカピカに磨かれるのだという。
　甲板はすでに海水で濡れている。
「ヤシ持てー！」の声。
　マウルは他の船員とともに船首へと走ると、船尾へ向かってひたすらに椰子を持つ手を動かした。

　――こうしてマウルはゴールデンウィーク前に５桁のバイト代を稼ぎ出したのであった。
「生活費を引いてもバイト代がまだ残っているんだ。率先して支払おう」
「そうか。ありがとう」
　士は差し出された寮費を有難く受け取った。敢えてすべてを語るマウルではなかったので、士に分かったのは、彼が以前より日焼けしているということだけだったが。
　
◇

　自治会会議室――改め、選任戦管理本部前。
　張り紙を張り終えた自治会員・奈良橋 博美が戻ってくる。
　するとドアの前でショートカットで小柄な黒須 聖と行き会った。
「あれ、黒須さんどうした？　本部に用事？」
「自治会費を払わないといけなかった事を……知らなかったので……払いに来た」
　聖は無表情に、とぎれとぎれの言葉でそう告げる。
「誰かに投票しないのか？」
「お金だから……一番信用できる人にしか……渡さない」
「それで海原先輩ってわけか」
「汚い大人……いっぱい見てきた……から」
　分からないけれどいろいろあったのかなあと思いつつ、博美は聖を中に招き入れる。
「まあ入りなよ。――先輩、お客さん」
　集計用紙を作成していた海原 茂が顔を上げる。
「なんだ」
「選任戦管理本部で集計するのなら……同じ手間だと思って。やっぱり現自治会長が一番信用できる……から」
　そういうと聖はすっとクレジットカードを差し出した。
「それは？」
「会費……クレカで……払う」
「すまないがカードは対応できない」
「じゃ……ネコカで……」
　nekoca（ネコカ）とは寝子島電鉄が発行しているICカードだ。当然使えない。
「……」
「……」
　無表情に困りあうふたりが面白くて、博美は悪いと思いつつ笑いを噛み殺す。
「現金……持ってない……」
　とうとう聖はがまぐち財布を下に向けて振った。ほこりひとつ落ちなかった。
「あっはっはっは」
　博美はとうとう堪えきれず笑ってしまった。
「選任戦は明日の昼までだから、現金用意して、誰かに投票したらいいんじゃないかなあ」
「投票……必要？」
「せっかくだから、してもいいんじゃないか？」
「じゃあ……１位との差が５４００円以内で、一番差が大きい人に……する。……立候補者よく知らないから」
　つまり自分の票で大逆転できる人に投票する、というわけだ。
「ほう。爆弾発言だな」
　茂は面白がっているようだ。聖はぺこりと小さくお辞儀をすると、本部を去っていった。

「で、君は？　もう誰かに投票したのか？」
　茂は改めて博美に声を掛ける。
「それなんだけどさ。俺は今回、特定の候補者に投票しないで、公正な選挙が行われるように見守りたいと思ってるんだ。不公正な選挙になったら禍根を残しそうだし」
「なるほど。ならば、今回、本部委員として俺の下で動いてくれるか？」
　博美は茂の申し出に大きく肯く。
「もちろんさ。今回の選挙は白熱しているし、敢えて混乱させることでよりカオスにしようとする勢力もいかねないと思う。だから、誰からも文句が言われないような公正な選挙だったと思ってもらえるような選挙にしよう」
「そうだな。頼むぞ」
　茂が期待を寄せてくれるのが素直に嬉しい。博美は押忍、とばかりに気合を入れる。
「頑張るぜ」