速度を上げ始める電車の窓の外、寝子電スタジアムの光が黄昏の空に白く眩しく立ち昇る。
海の見える座席に腰を下ろす。電車の振動に体が揺れるに任せ、車内を見回す。
夕方の車内にしては乗客の数が少ない。
スマホ画面に視線を落として首を捻る。電波が届いていない。
おかしいな、と視線を車窓の海へと投げる。
太陽の光を失った海が暗く揺れる。月が昇るまでには、星が輝きだすには、まだ早い時間。
空が海が、妙に暗い。
今はまだ空の明るい時間のはずだけれど。
夕立を降らせるような雲も見えなかったはずだけれど。
中腰に立ち上がりかけた途端、車体が激しく揺れた。
何かに衝突したかのような、巨大ななにかに持ち上げられ落とされたかのような。
誰かが悲鳴をあげる。
誰かが事故かと喚く。
床に両手を突く。座席に縋って体勢を立て直そうとして、気付いた。窓の外、見知らぬ暗い森の景色が流れている。
捩れた木々が梢を重ね空を覆い尽くす、不気味な闇の森。
森の中、何事もなかったかのように列車は走り続ける。
弱冷房のはずの車内が酷く寒く感じられた。半袖の腕に浮いた鳥肌を思わず擦る。否、寒いわけではない。
窓の外の異常を見止めた乗客の一人が窓に貼り付き、何処だ、と震え声を上げる。
列車が木製の橋に差し掛かる。車輪の下から聞こえる、今にも橋が崩れて落ちそうな不穏な軋みに身を固める。猫又川の鉄橋ではない。寝子島大橋でもない。
だとすれば、これは何の橋で、何の境目を渡る橋だろう。
がたん、と列車が揺れる。混乱した誰かが悲鳴を上げて窓を開けようとして、連れらしい誰かに押さえつけられる。
森の暗闇の先、幾つかの提灯を瓦屋根に吊るした古びた小さな駅が見え始める。駅のホームには、人影がひとつ。立ち姿から鑑みて、若い男だろうか。
軋み音を立てて、列車が止まる。車内に緊張が走る。
扉が開く。ホームに立っていた人影がゆっくりと車内に乗り込みかけて、
「なんッじゃア」
素っ頓狂な声ひとつ上げて立ち尽くした。妙に声が籠もって聞こえると思えば、彼は顔に朱色の面を掛けている。
能に言う猩々(しょうじょう)、酒好きの妖精を表す面を掛け着物を纏った男は、物珍しげに列車内を見回した。
「こりゃア、……また繋がったんかい」
カリカリと面を引っ掻き、首を捻り捻り車外に降りる。ひょいと面の顔だけで車内を覗き込む。
「急なことで難儀しとるやろ。降りて来ィ」
怪しげな猩々面が笑う。
何人かの乗客が猩々面に手招きされるまま外に出る。つられて恐る恐る、列車の外に出る。
「他の者も。これ乗っとたらエライとこ連れてかれてまう、ちゃっちゃと降りとき。駅から出てしもたらどないすんの」
着物の裾を森からの妙に湿気った生温い風に揺らし、猩々面の男は列車から石積みのホームに降りた人々を見回す。
降りた電車を見遣って、ぎくりとする。それは見慣れた寝子電の車体ではなかった。
今にも朽ちて崩れそうに赤錆びた、恐ろしく古びた汽車。
不機嫌そうに黒煙を吐き散らす機関車の後ろの運転台に、人影は無い。
「ええか、よう聞き。これが出た後にな、線路辿って進んで、」
猩々面が指し示すのは、朱色のレールが伸びていく暗い森のその先、森よりも暗く口を開ける隧道。
「あこに見えるトンネル潜った先の駅まで行くんや。で、停車しとる電車に乗り。そしたら元のとこに帰れる」
本当か、と誰かが問う。
猩々面が軒から吊るされた提灯の光に怪しく笑う。
「トンネルはそない長うないけど、暗いさけ気ィつけ。ここら下がっとる提灯くらいやったら持ってってかまへん。あ、トンネルん中で落ち武者の奴らに襲われるけど、まあがんばって走って逃げぇ」
ひらひらとお気楽に手を振る。
逃げるしかないのか、と誰かが苛立った声を上げる。
「刀やら弓やら持っとるんと戦う気ィか? そら骸骨やさけ、肉持っとるお前らが殴る蹴るしたら砕けるけど。すぐ元に戻ってまうで」
あと何かあったかいな、と腕を組んで考え込む。付け足す。
「……大勢で行ったら狙われやすい。二三人にバラけて行くんがええ」
言うだけ言って、面の奥、酒臭い大欠伸をする。
「ほな、気ィつけてお帰り」
立ち尽くす人々をこの世ならぬ駅に放り出し、猩々面の男は赤錆に塗れた汽車に乗り込む。くるりと背中を向け、座席に腰を下ろす。もう何も話すことなど無いとばかり、腕を組んで狸寝入りを始める。
こんにちは。阿瀬春と申します。
今回はちょっと怖いめな怪しい世界を駆け抜けて元の世界に戻ってみようなお話をご用意いたしました。
真っ暗なトンネルをひたすらに怯えて駆けて行くも良しです。
全力で戦うも良しです。
持ち物は普段電車に乗ってるときに持ってるようなもの以外はだめです。
精々部活帰りの竹刀とかバットとかくらい、……でしょうか。
アクション次第でホラー(っぽいもの)にもコメディ(っぽいもの)にも冒険ものにもなると思っていますが、どうでしょう。
ご参加、お待ちしております。
※少し前のシナリオ(『夕暮鳥居のその向こう』)と題名が似ていたりしますが、シリーズものではありません。ので、目を通して頂かなくて全然大丈夫です。
どなたさまもお気軽にどうぞですー。