道の端に水たまりが出来ている。
冬空の乾いた青を映して北風に漣立てる小さな水たまりの隅を戯れに踏んで、
――地面が失せた。
腹の中身がぎゅっと掴まれるような、全身の毛が逆立つような、恐ろしいほどの浮遊感と共、全身を冷たい水が包み込む。
恐怖感に湧き上がった声は、碧い水に泡と溶けた。慌てて口を抑えようとして、腕を重たく掴む水の抵抗に焦る。それでもなんとか息を詰め、ほとんど涙目でぐるりを見回す。
痛いほどに激しい心臓の鼓動ばかりを耳の奥に響かせながら、見回した周囲を埋めているのは、どこまでも広がる空色の水。
落ちた瞬間に水を飲んだのか、口の中に真水の匂いが広がっている。
不思議なほどに甘い水の匂いと味を感じつつ、首をもたげる。
空よりも高いと思えるほどに遠く、水面に揺らぐ光が見えた。ともかくも水面目指して浮き上がろうと水を掻いた、その瞬間。
足首をナニカが掴んだ。水よりも冷たい、小さな手のような、ナニカ。
「――ッ?!」
視線を落として、白い着物纏う蒼い髪の子供と眼が合った。
水に髪を揺らし、少年はひどく朗らかに嬉しそうに、笑んだ。同時に足首を強く引かれ、水底に引きずり込まれそうになる。
抵抗して動かそうとした足さえ満足に動かせない。
心臓が破裂しそうに脈打つ。閉ざした唇の端から空気の泡が大量に洩れる。
ごぼり、最後の息を吐き出して、
「ねえ! ねえねえ! 遊ぼうよ! 遊んでよ!」
途端、耳朶を打つ子供の無邪気な声を聞いた。そうして気付いた。
息が出来る。
「……?」
水中にあって息ができることに眉を顰め、もう一度周囲を見回す。子供に連れて行かれようとしていた水底を見下ろす。
水底には、白い珊瑚石を幾つも積み上げた、家と思しき建物が連なっていた。
水底の丘陵に沿って家々の並ぶそこは、どうやら小さな町のよう。
家々の隙間を縫うような白い石段、屋根と屋根を蜘蛛の糸のように繋ぐ渡り廊下のような細い路。町の天辺には一際大きな、神殿じみた建物すら見える。
目を凝らせば、水底の白砂に軌道を描いて遊ぶ大小も色もさまざまの魚も見えた。
ちりん、子供の足首に結わえられた鈴が鳴る。
水中にあって不思議と響く鈴の音に首を捻る間も、子供はぐいぐいと足を引く。足を引くのに飽きて手を離し、舞うように水中に泳ぐ。
「ひとが来るのなんか久しぶりだ! 手繋ご! 一緒に泳ご! どうしたの、じいちゃんに会いに来たの? それともおれに会いに来てくれたの?」
はしゃぐ蒼い髪の子供を前に、どうするべきか迷う。
どうすれば――
こんにちは。
阿瀬 春と申します。
今回は、水底の町の探索のお誘いに参りました。
その辺の水たまりから突然落っこちた、どこまでも水の広がる世界の水底にある小さな町。何の危険もなさそうな小さな町には小さな子供がひとり。あなたを見つけるなり人懐っこく嬉しそうに近づいてきます。
どこかに『じいちゃん』も居るようですが、……とりあえず、どうしましょう?
帰る道を探す?
子供と遊ぶ?
町を探索する?
『じいちゃん』と会う?
それとも?
子供以外にひとの居ない町には、けれどあちこちに元の住人のものらしい品物が遺されています。子供に聞けば、「好きに持ってっていいよ!」とのこと。
大量に持ち帰ることは出来ないですが、ひとつふたつなら元の世界に持ち帰ることが出来ます。
とは言え、不思議な力の籠ったアイテムはなさそうです。
丸くなった硝子の欠片や読めない文字の日記や本、珊瑚の欠片や大きな魚の鱗のようなもの、硝子の風鈴や食器、などなど。
ご参加、碧く涼しい水中世界でお待ちしております。