涙を拭う。
リュックサックに詰めるのは、こっそり台所から持ってきたポテトチップスとプリンと水筒に入れた麦茶。ベッドの枕元のぬいぐるみにカイロに手袋、分厚い上着は忘れずに。
勉強机の上に鎮座する貯金箱から貯金を全部取り出して、財布に突っ込む。小銭ばかりでがまぐち財布はぱんぱんになったけれど、これは大事な軍資金。
(だって)
これからはひとりで生きて行かなくちゃ。
(とうさんもかあさんもだいきらい)
だいきらい、と心に呟いた途端に視界を滲ませる涙を拳で擦る。
(家出だもん)
リュックサックを背負う。ベッドの下に隠していた靴を引き出す。庭に面した窓を開けた途端、音もなく流れ込む冷たい北風に息を詰めつつ、窓の下に靴を投げ落とす。
(ひみつ基地に行こう)
九夜山にともだちとこっそり作ったひみつ基地までの道順を頭になぞる。あそこなら風雨もしのげる。寒さもある程度防げる。
行き先を決めてしまうと、家出の悲愴な気持ちは少し和らいだ。冬の空気に冷えた唇をぎゅっと引き結ぶ。できるだけ音を立てずに窓から外に出る。
見上げた冬空は澄んだ朝の水色。
凍り付いた空から降った霜を靴底に、家出の一歩めを踏み出す。
(いいおてんき)
今日は、家出日和だ。
こんにちは。阿瀬 春と申します。
今日は、家出なお話を伺いにまいりました。
昔の家出話でも、今現在の家出話でも、はたまた家出してきたともだちを迎え入れたり家に帰るよう説得したりなお話でも、家出に関わるお話ならば何でも構いません。
いっそのこと、一人暮らしの家に帰るのが嫌で寝子島温泉のお宿に逃げ込んじゃったり、馴染みの居酒屋に長居を決め込んだりな自称『家出』でも大丈夫です。
いくつか、家出先になりそうなところも挙げておきます。
宜しければお使いください。
1■シーサイドタウン一角の二階建て廃屋
寝子島高校近くに位置する住宅地の片隅、忘れ去られたようにぽつんと建つ日本家屋です。
崩れかけた石塀越し、雑草だらけ、手入れもされずに伸び放題の庭木の生えた庭が見えます。
錆びついた門扉には、最早文字も消えかけた『売家』の看板。
覆いかぶさってくるような草木を潜れば、格子戸の玄関。鍵は開いています。
広い三和土に真っ直ぐに続く廊下、二階に上がる急な階段には首のもげた布人形。かび臭いタイルの風呂場に真っ暗な和式トイレ。古井戸のある中庭。
廊下の奥には二十畳はありそうな広い座敷。座敷の床の間には青々とした竹の筒に誰かが活けた、まだ瑞々しい椿の花。竹筒の下には、いわくありげでなさそうな掌大の二枚貝。袋戸棚を開けば、真っ二つに割れた茶碗や灰の詰まった香炉や何が入っているのかも分からない陶器の小瓶等々、怪しいような怪しくないようなガラクタがたくさん出てきます。
ここを家出場所に選びましたあなたには、『うっかり想像したものを本物のような幻として見てしまう』神魂現象がおまけについてきます。
廊下を這いまわる女の幻だったり、ごちそう用意して甲斐甲斐しくお世話してくれる幼女の幻だったり。襖を開けたら猫たちが和気あいあいと宴会している幻だったり。
幻はふと気が付くと現れて、ふと気が付くと消えています。
実際に触れるようにも感じる幻に怯えつつ戦いつつ、神魂が影響を及ぼしていると思われるものを探してみるのも楽しいかもしれません。
2■寝子島街道沿いのオートレストラン
二十四時間営業、缶ジュースから割と本格派なうどんにラーメン、ハンバーカーに焼きおにぎりにお弁当まで、懐かしめの自販機がズラリと並ぶ屋根付きの自販機コーナーです。古めかしい机と椅子もあります。
家出の勢いでドカ喰いしつつしばらく居座って、街道を行く自動車かひとをぼんやり眺めてみたり。家出鞄の中に詰めて来た本を読んだり、携帯電話のメールチェックをしてみたり。はたまた偶然出会うかもしれない家出仲間と話し込んでみたり……なんかも、楽しいかもです。
3■その他、家出に関するお話であれば。
なんでもどうぞです。
そもそも家出人を捜す側のお話でも大丈夫です。
ご参加、お待ちしております。