みんなで楽しいひなまつり！｜リアクション

みんなで楽しいひなまつり！

　桜花寮の玄関を通りかかった羽生碧南は、ふと足を止めた。
　玄関を入ってすぐのところに、雛人形が飾られているのに気が付いたのだ。
　恐らく寮母の座間トシコが女子寮だからと置いてくれたのだろう。雛人形は、味気なくなりがちな寮の玄関口に、春の彩りを添えてくれていた。
（もうそんな季節だっけ。早いなぁ）
　可愛らしく寄り添う雛人形を見て、碧南は柔らかく目を細める。そして心は見目麗しい公達が姫を取り合う乙女ゲームの世界へ……は飛ばなかった。彼女は小さく呟いた。
「……うちで最後にお雛様を飾ったのも……」
　碧南は、１年前の今日を思い出したのである。

　シーサイドタウンにあった碧南の家では、毎年３月３日には五段飾りの雛人形を彼女の姉と２人で飾っていた。
　家族の中で１番背が高い碧南。１番上の段のお雛様とお内裏様を飾るのは、いつも碧南の役目だった。去年のひなまつりも、やはり雛人形を飾り付けたのだ。いつものように自分が上の２人を飾り、それを姉が「飾り方が雑だ」と突っ込む。そして碧南は「そういうお姉ちゃんだってー」と言い返すのだ。これが毎年お決まりの３月の光景だった。
　しかし、もうあの時きゃいきゃい言いながら飾り付けた雛人形はもうこの世にはない。
　ひなまつりが終わってほどなくして、家が全焼してしまったのだ。お隣さんからのもらい火で。
　火の勢いはあっという間で何もかも灰になってしまった。あの雛人形も。碧南が生まれてからの１５年間すべての思い出も。

　誰もいない玄関で、碧南は独り涙がこぼれそうになり、慌てて堪えた。
　なんでこんな事を思い出すんだろう。碧南はふるりと首を振った。
　それから色々なことがあって、様々なことを経験して、いろんな思い出ができた。いいこともあれば悪いこともある。今はそう思えるようになったくらい、私はこの１年を大切に過ごしてきたではないか。

　玄関の窓から差し込む陽射しを浴びて、雛人形は碧南に優しく微笑んでいる。碧南はしばらくその場に佇んでいたが、「そうだ」とポケットから携帯を取り出した。
　碧南は雛人形の横に並ぶようにしゃがむと、カシャリと笑顔で自分と雛人形を写真に撮る。そしてそれを確認すると、鎌倉の父方の実家に身を寄せている、姉と両親に宛ててメールを送信した。

　今日はひなまつりです。
　みんな、元気でいますか。
　私は、寝子島で元気にやっています。

　そんな思いを込めて。さっき涙を流しかけたのが嘘だと思えるほどの眩しい笑顔の写真を添えて。