十分ほどして試着室のカーテンが開いた。
　胸元の大きく開いた、セクシーなノースリーブワンピース、ニット地だが思わず指で触れたくなるほどきめ細かな編み目が特徴的だ。背中部分がシースルーになっているのも、まるで「脱がしてご覧なさいな」と誘っているようである。
　脚にはぴったりしたニーソックスを選んだ。猫と魚がたわむれるシルエットが編み込まれている。逃げる魚と追う猫……これは何かのメタファーだろうか。もちろん、見えるか見えないかギリギリの絶対領域は確保してあった。
　今、この装いをしているのは桜月である。
　そんな彼女を舐めるようにして、うっとりとした目で北条冬華が見つめていた。
「に、似合うか……？　どうも、スースーしていかん……」
　普段の装いからすればかなり大胆なチョイスに、月はもじもじと内股になって戸惑っていた。許されるのならば、このまま試着室の赤いカーテンを、マントのようにまとって身を隠したいくらいだ。肌寒い一方で、冬華に見つめられているせいか体の芯が、熱い。
「ええ、良くお似合いです。でもこのままでは寒いから……これをどうぞ」
　もう11月、コートがほしいシーズンである。大人っぽいカシミアのコートを冬華は月にかけた。フェイクファーのマフラーも優しく巻いてあげる。
「これに、このヒールを合わせます。あとは猫のカチューシャを付ければ、一見ふわふわのペルシャ猫、けれどコートとマフラーを脱ぎ捨てた途端、アイスクリームのように甘い淑女へと変身することになりますね。思わず食べちゃいたくなるような……ふふ。わざとアウターは厚めにしていますので、長距離を歩いたりすればたちまち、脱ぐ気になると思いますよ」
「なるほど、これは、悪くはないと、思う……けれど、冬華さんこれ際どくない？　うん、寒くはないけど、これで人前に出るには少し恥ずかしい」
　そして月は、そっと囁くような声で冬華に告げたのである。
「この衣装は二人っきりのときにね」
「あら？　私一人が楽しんでいいのですかしら？」
　けれども冬華の口元は、そんな月を独り占めできる喜びで笑み崩れていた。
「さて、お返しに冬華さんの衣装は私がデザインをして作ろう」
「それは楽しみです」
　しゃっ、とカーテンを引いて元の服にごそごそと着替えつつ、月は冬華に呼びかけた。
「冬華さん、以前バニーガールの衣装を着てたよね、ああいうのが好きなのかな？」
「ええっと。前のハロウィンの格好は……。恥ずかしいですが、勧められたら着ます」
　今度は冬華が赤面する番だった。ハロウィンのあの夜……思いだすだけで顔が赤らむ。
　彼女との想い出は、心より躰のほうが覚えていた。とりわけその後半は、思いだすだけで夜眠れなくなるような濃厚な記憶である。
　ところがその反応がカーテン越しでも伝わってくるのか、試着室内の月の声はいらだちをはらんでいた。
「冬華さんは他の人に肌をさらしすぎだ……！」
　さらに言う。
「ああいう格好は私だけに見せてくれればいいんだ、だから、冬華さんには猫の着ぐるみを着てもらおう」
「着ぐるみ、ですか？　いいですよ」
　おっとりと冬華は返したものの、なんだか月は収まらない様子で、元の姿に戻るとすぐに、服を作るための作業台に駆け戻った。
「ここではスケッチと下準備をするだけだ。少しだけ待ってほしい」
　そうして月は、てきぱきと作業に入ったのである。
　――月さん、機嫌を悪くしたようですね。でも、なぜでしょう……？
　冬華には彼女の、不機嫌の理由がわからない。
　わからないといえば、月の行動もよくわからない。
　月はまず、冬華が着られるサイズの猫の着ぐるみを購入していたのだ。そのまま使える白い猫の着ぐるみ、既製品だ。多少は手を加えることができるかもしれないが、ゼロから立ち上げるものではない。わざわざスケッチから行う必要があるのだろうか。
「さて、スケッチだ。冬華さん、そのまま動かないでくれ」
　冬華の姿をとらえると、月はスケッチブックにペンを走らせる。
　しばらく無心に続けていたが、やがて、
「よし、これで大まかなイメージはできあがった」
「見せてもらっていいですか……？」
「うん」
　月が開いたスケッチブックを見て、冬華はようやく、彼女の意図を察したのである。
「ええっと月さん、つまり……この服を着た上に、猫の着ぐるみを着るというわけですか……」
「うん、この服は他の人に見せちゃ駄目だよ？　私だけだからね？　お三夜まつりの会場では着ぐるみだけ、中身は、ふたりきりのときだけに……」
　――少し際どくなった気がするけど私だけが見るんだし、いいか。
　そう思いながら月は冬華を見上げた。
　嫌だと言われたら、どうしよう。
　そんな不安がないでもなかった。けれど……冬華は受け入れてくれると信じていた。それだけ月は彼女を信じ、そして、甘えているのかしれない。
「猫に引っ掛けてキャットスーツですか……？　バニーガールの衣装並みに過激ですね」
　それは、ラバー製の黒いボディースーツ、アニメに出てくる女スパイが着そうな服、と言えばわかりやすいだろうか。躰にぴったりと張り付いた第二の皮膚のようで、つるりとした質感、ぬめっと濡れたような光沢が特徴だ。胸元から股にかけてジッパーがついており、一気に引き下ろすことができるようになっている。ボディラインの美しい冬華には、さぞや似合うに違いない。
　なお『キャット』スーツという名前だが由来は猫ではない。その外見がナマズ（catfish）の質感に似ているためこう呼ばれているのだ。
　露出という意味では、見えるところは少ない。けれど、冬華の言うとおりバニーガールに勝るとも劣らぬほどに、扇情的な衣装であろう。
　難色を示されてもおかしくない状況ではあった。けれど、月の不安は現実とならなかった。
　なぜなら冬華は少しのためらいののち、かすかに震える声に恥じらいを込めつつも、
「分かりました」
　と言ったからである。きっぱりと言ったのは、自分の覚悟を証明するためだろうか。
「では月さんのためだけに、キャットスーツを着ましょう」
　この服を彼女のためだけに着るというのは、自分と彼女の間の距離を、もう一歩、大きく詰めることになる、そんな風に冬華は感じていた。
　もう客もまばらな会場だったが、それでも、月以外の人に聞かれたくなくて、冬華は彼女の耳に唇を寄せていた。
　吐息のように囁くのは、
「……うう、月さんだけですからね？」
　という言葉。
　


『【お三夜】お三夜迎撃準備！　と書くと過激ですが要するにですね』おわり