「……だから斑鳩さん……赦してください……ご自分を」
僕はそう言った。自分でも、何を言っているのか。そう思った。
僕は他人の傷を見つけるのが得意だ。
壊れたピアノ。死んだ男。音は出ない。もう聞けない。石造りのステージ。空いた客席。そこにはかつての想い出を残したまま、朽ち果てる秋の風。
僕はピアノを弾きに来た。
この人と僕は似ている。だから弾いてみたくなった。彼には、強く反応する音がある。
僕は捉えた。
僕は鍵盤に指を乗せる。ピアニッシモ。とても弱く。死んだ友人の話。
ピアノ。やさしく。僕の話。
メゾフォルテ。少し強く。悪魔の話。
悪魔だって恋をする。その言葉が僕を貫く。
僕は時任彼方を知っている。彼の魂のかたち。その寂しさを。
だから僕は、伝えたかった。冷酷な仮面に情熱をぶつけるのは虚しくも狂おしい。だが時任彼方と云う鍵盤だけは、押せば強い音を出す。壊れたピアノ、治せないのか。
僕もあなたも治せないのか?
僕は奏でる。兄の話。母の話、彼の話。彼らの話。
そして彼とは誰なのか。彼と言う名の僕自身
僕は指を伸ばした。ピアノを弾くために。嬉しかった。僕に触れて見れればいいと言ったのが。僕も触れてみたかった。確かめて欲しかった。誰に?僕が?きっと“彼”も確かめたかったはずだ。
貴方の存在を。彼の方もあなたに伝えたかったはずだ。
“彼”方の存在を。
僕はひとに触れるのが怖い。時任彼方はそうではないはず。彼が畏れた居たものは、彼がおそれていたものは……望んでいたものは手に入れたかったものは……
僕は過去の傷で僕を取り戻した
希薄な感情。淡白な性質。誰も愛せない。誰も愛せない事は誰をも愛する事と似ている。心が感じない事と体が感じない事も。
時任彼方は斑鳩遙を感じさせようと刺激を加えた。僕は兄さんを感じさせようと刺激を加えた。どちらも反応したのは、痛みだった。
知識で防護された魂はがらんの城。生々しさの皮被って生きる剥製。過去の記憶が心に巣食い、ずっと反芻を繰り返す。咀嚼しきったそれは、とうに消化されるべきだ。
醜く、浅ましい。ぞっとする。
だから僕は、それを吐きださせる。たとえ手を吐瀉物で汚しても。
彼はきっと、貴方の歪みを許し受け入れている。なら貴方もそうしてください
そして貴方の歪みを赦してください
「自分を赦せ」呪いの言葉。呪詛は跳ね返る。僕自身に
無限の合わせ鏡
量子力学
鏡の中の悪魔
深淵が拓く
僕は苦しいんです。貴方を見ているのが。鏡にうつった僕のよう。僕と貴方と、兄と時任彼方。それらはあまりにも似すぎていて、僕をざわつかせる。耳を塞いでも、止まない、闇。
僕はピアノが弾けなくなった。壊れてしまったからじゃなく。僕がピアノになってしまった。
さあ僕を弾け。存分に。調律をするがいい。弦を回せ。ハンマーで叩け。震える振動は共鳴する。
貴方と彼を救う事が僕に巣食った虚無を掬うことになるのなら
誰もいないステージで
僕の演じる滑稽な人形劇
遥か彼方に願いを込めて