「……だから斑鳩さん……赦してください……ご自分を」
何を言ってるんだこいつは。
儚げな銀髪の少年が俯いて訥々と述べた時、思わず耳を疑った。
彼が何を言ってるのかわからなくて。いや、言ってる内容はわかった。
しかしその理解を全身が拒んだ、俺が今まで積み上げてきた経験の集大成が彼の発言を理解するのを激しく拒絶した。
廃墟の遊園地、遠景にそびえたつのは錆びついた観覧車、もう二度と動く事のない虚ろの揺り籠。
秋の気配が忍び寄り始めた野外音楽堂にて俺と対峙し、彼は言った。
その発言はきっと好意からでたものだろう。
彼はひどく情緒不安定だ、それは偶然ここで出会って短い会話を交わしただけで察しがついた。接触を忌避するのは過去の心的外傷に起因するのだろう、どうやら複雑な生い立ちの事情を抱えているようだ。
他人の過去について詮索するのは主義に反する。第一興味もない。
だから俺はその場限りの当たり障りない助言をした。誠意などない。精神科医の対話療法のまねごとだ。
爛れた傷口を開いて見せる少年にひきずられ、饒舌になりすぎている自覚はあった。
引き返した方が無難だ、急用を思い出したフリで立ち去れと理性が促した、でも彼の語り口にはそれを阻む暗い磁力があった。
あるいは同族嫌悪。
あるいは自己憐憫。
おそらく俺達はよく似た醜いものを抱えていて。
その場を立ち去る機会を逸したのは一回りも離れた少年に気圧され逃げ出すようで些か癪だったのと、彼の暗部をもう少し観察したい、自虐じみた独白の末路を見届けたいという嗜虐欲をそそられたからに相違ない。
どうせなら膿をだしきるまで付き合おう。
時任に倣って。
かつての時任もこんな気持ちだったのか?
その少年はとても繊細で、純粋に歪んでいた。畸形の真珠のような生き物だった。
だから少し興味が沸いた、彼が寄生する対象に。真珠は貝に寄生しその養分を吸いとる。ならば彼と共生する人間には同情する。
俺の言葉は誰かの借りもの、本の受け売りでしかない。
その俺に対し、彼は言った。
「自分を赦せ」と。
よりにもよって、この俺に。
笑ってしまう。
いつのまにか俺の方が同情されていたなんて。
俺は「ありがとう」と言った。
皮肉じゃない。嫌味じゃない。
こんな俺を気遣ってくれた、不器用に慮ってくれた、聖女のように慈悲深く諭してくれた、その事実に対してきちんと感謝を述べるのが筋だと思った。
ああ、
本当に、
有り難くて吐きそうだ。
俺は自分を赦せという人間を許せない。
絶対に許せない。
俺を許せる奴は一人だけで、そいつはもういなくて、だからもう俺を許せる人間は地上のどこをさがしてもいないのだ。
それで、いい。
だから俺にそんな事をいう本当は優しい彼の事も許せない、たとえそれが俺を気遣っての発言だとしても、俺の罪悪感を軽くしようと労わったのでも。
本当か?本当はずっと言ってほしかったんじゃないか、誰でもいい、俺じゃなくてもいいから許してほしかったんじゃないか。
お前を許すと、ただその一言を求めていたんじゃないか。
顔のない誰かが耳元で囁くのに首を振る。
俺は俺を許さない事で生きてきた。そうしなければ生きていく目的さえ見失った。誰かに許されたら俺はきっと死にたくなる、もういいと自分を赦したくなる。その方がずっとらくだから、らくに決まってるから、あたりまえだろうそんな事、許されたらもう生きる意味がなくなるじゃないか、免罪符がもらえるじゃないか。
「自分を赦せ、か。むずかしいな……善処はするよ」
だから、俺は笑う。
「ありがとう」
彼の目を見つめて、笑う。
俺は自分を赦せない。赦すつもりもない。
俺が俺を許したら、時任はきっと、二度死ぬ。
俺はもう一度時任を殺すことになる。
世の中には許されない事で救われている人間が一定数いて、きっと俺はそちら側の人間だ。
それならもう笑うしかない。完全なすれ違い。
自分でも驚くほど上手く自然に笑えた。嬉しかった。有り難かった。でも迷惑だ。有り難いと迷惑を同義で括れるなんて意外な発見だ。
吐き気がするほど有り難い。
吐き気がするほど満ち足りている。
自分を赦せというのは自分を殺せという命令と同じだ。
ひょっとしたら心のどこかでずっとそう言ってくれる人間を求めていたかもしれない。俺は常に死にたがっていたから、何度も繰り返し死ぬ夢や殺される夢を見て焦がれ狂うほどだったから、自分を殺していいとお許しがでるのを待ち焦がれていたのかもしれない。
ならばやはり彼に告げる言葉はひとつしかない。
「ありがとう」、と。