とうの昔に操業を停止した廃工場。
歳月の経過と共に埃が積もった床には資材が放置され、ガラスの破片が足の踏み場もなく散乱している。
夜の暗がりに包まれ荒廃の相を呈す廃墟の片隅に、背格好がよく似た二人の男が繋がれている。
一人は薄汚れた白衣を羽織った男。
端正な容貌を飾る眼鏡のレンズにひびが入り、腫れた頬や切れて血の滲んだ唇が一際痛々しい。
その隣にふてくされて座りこむのは頭髪を派手なピンクに染めた男。
悪趣味な柄シャツをはだけ、引き締まった痩身を外気にさらしているが、肌の至る所に内出血の痣が見受けられる。
どちらも激しい暴力を受けた痕だと一目でわかる悲惨な風体だ。
互いにそっぽを向いて頑なに視線を合わさずにいる二人だが、もしこの場に観察力の優れた第三者がいれば、その目鼻立ちや細かい顔の造作がひどく似通っている事をたちどころに見抜く筈だ。
じゃらり。
埃でざらつく床を鎖が這う。
天敵と自分を繋ぐ手錠に舌打ち、ピンク髪の男……雷一が口汚く毒づく
「ったくクソ忌々しい、よりにもよってテメエと心中だなんて」
「同感だ。テメエと顔つきあわせて最期の時をむかえなきゃいけねーなんて自分の運の悪さを呪いたくなる」
「こっちの台詞だくそったれ」
「生まれてきた時も一緒なら死ぬ時も一緒か。腐れ縁だな」
「気色わりィ事ぬかすな。第一好きで一緒に生まれてきたんじゃねえ」
「そうだな。その通りだ」
押しても引いても無駄、輪の内側に指をさしこみ力ずくでこじ開けようとしても無駄、囚われた時間の経過に比例し徒労と焦燥だけが増えていく。
「……!痛っ」
皮膚を削られる苦痛に顔を歪め、往生際悪く手錠をがちゃつかせる弟を眼光鋭く睨みつける。
よく見れば雷一の手にも無数の擦過傷ができている。
「おい、いい加減にしろ。てめえが勝手に体力消耗して衰弱するのはとめねーが俺までまきこむんじゃねえ。この手はメスを執る大事な商売道具だ、慰謝料請求するぞ」
「生憎どっかの誰かさんと違って諦めが悪ィんでね、どのみちくたばりゃゴッドハンドも持ち腐れだ」
「口がへらねーな相変わらず。猿轡でも噛まされりゃよかったのに」
「糸と針と鋏ならそこにあるぜ、テメエの鞄からぶちまけられたのがな。それとも抜糸は苦手かセンセ」
「手が届くならとっくにやってる」
「減らず口はどっちだよ」
「ついでに抜歯もしてやろうか。ろくな設備がないから菌が入って化膿するだろうが責任はとらん」
「やぶ医者が」
会話が途切れ重苦しい沈黙が漂う。
雷一が自由な方の手でシャツの胸ポケットをまさぐり、強張った指で苦労しつつ煙草の箱を取り出す。
お互い痣と生傷だらけ、指一本動かすだろうによくやるとあきれて見ていた霧人の視線の先、緩慢な動作で煙草の箱からよれた一本をつまんで咥える。
「火ィ持ってね?」
「持ってる訳ねーだろ馬鹿」
「ちっ、使えねー」
「肺癌で死ね」
「医者の台詞かよ」
たまらず雷一が吹きだす。つられて霧人も表情を緩める。
いつもなら茶化し混ぜ返され腹を立てるのに、お互い疲れきって怒る気力も尽きたのか乾いた笑いしかでてこない。
痙攣するようにひとしきり笑ってから、漸く安物のライターを見つけ、唇の端にひっかけた煙草に火をつける。
ライターの火に炙られた穂先が短く爆ぜ、殺伐とした廃墟の暗がりに煙が一筋立ち上る。
唇の傷に煙が滲み顔を顰める雷一に、霧人が一言「ばか」と呟く。
付かず離れず微妙な距離感、一跨ぎで越えられるのにけして埋まらない溝、一番近くて一番遠い片割れ。
腐れ縁のなれあいじみた気安さと、あきれと苦笑が入り混じり穏やかに凪いだ声音が妙に心地よく、張り詰めた空気が弛緩する。
「一本くれ」
ツレに乞われ無造作に煙草の箱ごと投げ渡す。
器用に真新しい一本を抜いて咥えた霧人が、その時初めて失態に気付き、薄闇に紛れてばつが悪そうな表情を浮かべる。
こいつのこんな顔久しぶりに見る。
なんでもできる兄貴のレアな表情が痛快で、珍しく寛大な気持ちになった雷一がほくそえんで顎をしゃくる。
「顔よこせ」
意図を察した霧人は大人しく従う。雷一がすりよる。霧人の体が傾く。うりふたつの顔が急接近し、床で絡まり合った鎖が擦れて音をたてる。
痛みの余韻と発熱とで鈍く疼く体で這いずり角度を微調整、ニコチンをたっぷり含有した吐息を煙に乗じて吹きかける。
高圧的に目を眇めて悪ふざけを牽制する霧人。
それに対し、下からすくいあげるように目だけで挑発的に嗤う雷一。
虚勢と牽制が交差、思惑が錯綜する。
穂先を触れ合わせ火を移す。火を分かち合うよく似た顔が炎に照り映え、雷一の右肩の蝶も鮮やかにひきたつ。
「久しぶりだろ」
「ああ。……苦いな」
煙草をふかしつつ皮肉めかして独りごちる霧人に鼻を鳴らし、持て余した煙草を指の股に預けてのけぞり、鉄骨が組まれた天井を仰ぐ。
霧人と雷一、二人分の煙が絡まり合って虚空に上っていく。
それはまるで運命を暗示する手錠の鎖の如く。