「ジニーさんてば、考えすぎですよ」
蓋を開けた瞬間ふわりと漂い出す仄白い湯気が、猫っ毛が額にかかる柔和な微笑みを引き立てる。
好青年の形容が似つかわしい癒し系の笑顔は、やさしく香り立つ紅茶の湯気のようで、茶葉を蒸らして漉すにも手間暇かける誠実な人柄を容易く連想させる。
そしてそのとげとげしく凝り固まった人の心を温かく包み溶かしていく笑顔こそ、接客業で鍛え上げたスキルと生来の親切さとが融け合う彼の最大の長所かつ魅力だ。
色素の薄いさらさらの髪に被せたキャスケット帽の下、春の日だまりのように穏やかな瞳を笑みの形に細めた彼の視線の先には、仏頂面の青年がふんぞり返っている。
行儀悪くソファーに腰掛け、それを上回る行儀悪さでずずっと紅茶を啜りながら、伊達メガネをかけた青年がぼやく。
「考えすぎなもんか。組長は俺が不幸になるのが楽しいんだ」
「文貴さんはいい人ですよ。僕が保証します」
言わなくてもわかってるだろうとは思いますけど。
十中八九不興を買うであろう一言は賢明にも胸の裡で呟くに留め、苦笑がちに対面のソファーに腰を下ろす。
「顔出すたんびに童貞捨てたかとほざきやがる」
「それは……からかってるんですよ。文貴さんなりの愛情表現です」
「はっ、まさか」
キャスケット帽の青年は景貴、伊達眼鏡の青年はジニー。互いに友人同士である。
景貴が草食系ならジニ―は爬虫類……否、昆虫系だろうか。
無数のピアスで飾り立てた両耳といい、だらしなくはだけて着崩したサイケデリックで悪趣味な柄シャツと血色の悪い痩せぎすの体躯といい、アングラに巣を張る極彩色の蜘蛛を思わせる男だ。
自分の愚痴がきっかけで、互いの知人でもある某組長の話題に流れてしまった空気の軌道修正を図らんと軽薄な風貌を引き締め、膝を掴んで身をのりだすジニ―。
「組長の事はどうでもいい。今日お前を呼んだのは他でもねえ、用があるからだ」
「はい、なんでしょう?」
魔法瓶から注いだ紅茶を丁寧な所作で味わいつつ促す景貴に、ジニーは一拍おいた末、友人が焼いたスコーンに手を伸ばしがてら本題を切りだす。
「シーサイドタウンで医院を開いてる拝島って女医知ってるか?」
「すいません、存じ上げなくて」
「謝る事じゃねえよ。で、その薫にな、軽井沢ツアーに誘われたんだが……」
落ち着きなく尻をもぞつかせるジニーに対し、景貴は怪訝な顔をする。
素朴な疑問符を浮かべた眼差しに耐えかね、時間稼ぎを兼ねてスコーンを口に放り込み咀嚼する。
甘さ控えめで食べやすい。ジニーの好物は景貴手作りのチョコチップマフィンだが、こいつもなかなかどうしてイケる。
景貴が作る菓子には人柄が滲み出ている。
流行に走りすぎず、保守的になりすぎず、素材のよさを生かしながら今風のアレンジを取り入れた親しみやすい菓子。女子供のみならず老若男女に幅広く人気がでるのもさもありなん。
いや、今はそんな事どうでもいい。どうでもよくはないが横においとけ。
呼び立てた用件を述べるだけでいつまでかかってるのだ。己の優柔不断さにいらだち、弱腰に鞭打って挑むように正面を睨み据える。
無造作に手掴みしたスコーンをごくんと嚥下し、紅茶で口の中を洗い流し、いよいよもって覚悟を決める。
「……その、なんだ。よかったら一緒に行かねーか」
「僕がですか」
「ああ」
「ジニーさんと」
「他に誰がいるよ?」
「ええいえ、そうじゃなくて。お相手が僕でいいんですか?洋美さんは……」
「あいつとはまだそんなんじゃねえよ」
拗ねてそっぽを向くジニー。
ぬくまった蓋を両手に持ったままきょとんと呆ける景貴。
要領を得ない問答を噛み砕き、徐徐に話が呑みこめてきた。どうやらジニ―は自分を旅行に誘っているようだ。
友人の赤らんだ顔を観察しつつ、まだそんなんじゃないという事はこれからそうなる予定か計画があるのだろうなあなどと、ぶっきらぼうな言動で隠し立てできない不器用さが微笑ましくなる。
口元がにやつかないよう必死に自制する景貴をよそに、ジニ―は互い違いに絡めた指をせわしげに組み替える。
「ほら、さ、お前も夏中店ばっかじゃ疲れるだろ。お互い息抜きは必要かと思ってよ。タダでうまいメシ食えて酒飲めるなら悪かねえ、いつも世話んなってるし借りを返すチャンスだと思ったんだが都合が悪けりゃ断れよ、俺も暇な身の上じゃねーし」
景貴の沈黙をどう解釈したか、言い訳がましい早口でまくしたて、喉が渇いたのかはたまた照れ隠しかカップを引っ掴んで一気に中身を呷る。
「ああ、そんな慌てて飲んだら」
「げほげほっ!!」