こちらは展示物の紹介トピックになります。
恐れ入りますが、管理人以外は書きこまないでください。
言い出したのは靴屋の跡継ぎ。
麓の歌の主である。
数人の友人が協力し、店の在庫まで持ち出して、気球を一つ拵えた。
準備に7日を要したが、歌は一度も降って来なかった。
若者達は夜の訪れと共に崖下に集い、バーナーに火を点ける。
靴屋の跡継ぎが籠に乗り込み、膨らんだ気球と、その先を見上げる。
ゆっくり籠が、上昇を始めた。
一度上がれば風任せ、という訳にはいかない。
流れる気球を二本の鉤で、断崖から一定の距離に保つ。
離れ過ぎればそのまま流され、近付き過ぎれば気球が岩に引っ掛かる。
長い鉤を必死に操り、若者は上昇していった。
なんとか頂上に辿り着き、縄を塔の先端に引っ掛けると、漸く気球が安定した。
深く深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
胸に手を当てると、若者は歌い出した。
呼び掛ける歌を。
石壁の窓が、幾つか開け放たれた。
驚くシスター達が、声も出せずに若者を見やる。
その中に一人だけ、場にそぐわぬ身なりの娘が、深緑の瞳を見開いていた。
歌は娘に想いを投げ掛け、縄が風を切る音と共に終わった。
灯に煌めく金髪を手櫛で整え、数回息をつくと娘は笑顔を見せ、歌を返した。
数節の歌は若者の胸を撃ち抜き、再び村に降り注いでいった。
娘の側で見ぬふりをしていたシスターが、頃合いとばかりに娘の肩に手を添える。
娘も大人しく従って、最後にもう一度笑顔を見せると、窓の向こうに消えて行った。
その後も大変だった。
年配のシスターに怒鳴られながら、ソロソロと気球を降ろしていったのだが、途中でバランスを崩し、気球が半分焦げてしまった。
幸い、落ちるというには緩い速度で地上に到達し、二日寝込む程度で済んだという。
娘とはそれっきり。
翌日、豪奢な馬車が、村を通り過ぎて行ったそうだ。
「なんとも愚かな話です」
他にいくつも手はあったでしょうに、と館主は頭を振る。
「ですが、私はこの様な話が大好きなのですよ」
額に手を当てたまま、館主は笑った。
「逸話は、只の気球に価値を与えます。
その後出版された北欧の王女の書に、気球の話が書かれていればなおさら、です」
愉快そうな館主を見て、アナタはコレクターという人種の事を、少し理解し始めていた。