蜘蛛の糸はだれも救えない。
燻る穂先から立ち上る紫煙は蜘蛛が紡ぐ糸にも似て、しかしその先端が一縷の希望を乞う人の手に届く事はきっとない。
その理屈を経験則として知っている程度には彼は大人だった。
酸いと苦みを噛み分け世慣れしていた。
彼が噛み分ける世間とやらは噛みすぎて味のなくなったチューインガムのようで、あふれだす唾液の苦味と歯の裏側にへばりつく不快さにはいつだって辟易した。
彼は自分の仕事をクソみたいに最低の仕事だと思っていた。
クソみたいな自分にはお似合いだと自虐もしていた。
組織で生きる人間には役割がある。彼が序列に従い与えられた役割は積み荷の見張りだった。ただ一つ違うのは積み荷が生きていた事だ。
倉庫に監禁され出荷されていく子供達。白黒黄色褐色、肌の色は様々。東南アジア系が一番多かったと記憶している。人口抑止政策を敷く国では農村の労働力として酷使される戸籍のない子も増えていて、恐らくはそういう余りものの子供たちが売られてきたのだ。
目を合わせるな
口をきくな
けしてなれあうな、同情するな
引き継ぎ時に前任に言い含められた鉄則。下っ端の下っ端の仕事、ガキでもできる簡単な仕事。泣いて騒いで暴れたら小突いて脅して静かにさせるだけ。
最もそんな気力があるのは滅多におらず仕事はないに等しい。
毎日毎日ただひたすらに怯えて縮こまったガキども眺めているだけ、吸殻を量産していくだけの単調な作業。あくびの数を数えて無為にやり過ごす時間。
他人の事などどうでもいい、どうなろうと構うもんか。
心の中でそう嘯き、シニカルなニヒリストを気取った。
無関心を貫く態度の裏でマスタードを塗りこんだように疼く良心には知らんぷり。
売られていく子供たちの用途も未来も、それに自分が関与している死ぬほど胸糞悪い事実も極力考えないようにした。
感情を殺し監視に徹し、目を塞ぎ耳を塞ぎ、日がな一日倉庫の片隅のダンボール箱に腰掛け蜘蛛の糸を紡いでいた。彼の口から吐かれた糸は天に上りきる事もできず、幾何学的に組まれた鉄骨の間で行き場をなくしさまよっていた。
揺蕩い、淀み、蟠る
縺れ絡まる蜘蛛の糸。
HOPEの疑似餌を結んだ釣り糸を暗闇に垂らせど、喰いつくモノは絶えてなく。
天国にも地獄にも行けず迷子、虚空で途切れて堕ちていく、だれかさんとおんなじ。
「……くそったれ」
吸い差しを弾き捨て、靴裏で踏み躙る。
これは伏魔殿に巣食う蜘蛛が底辺で燻っていた頃の話。