手に持った手榴弾の硬さ。
鼓膜を破きそうなほどの爆発音。
吹き上げる焔の熱さ。
人を焼く火薬の匂い。
体中に弾が刺さる衝撃。
それは実際に起きた事であって、けれども現実ではない。
他の人から見れば、空想の中でおきた出来事にすぎない。
それでもその空想に巻き込まれたものにとってはそれは確かに体験したことであり、
記憶の中に焼き付いてやすやすとは消えない。
ここ、九夜山にある秘密基地の屋根の上にいる高校生もそんな空想に巻き込まれた一人だ。
彼は弾が刺さった箇所をそっと撫でた後、その掌をじいっと見つめている。
空想の中の戦争は終わった。
当然のことながら、今は血などついているはずもない。
ましてやその手の中に手榴弾があるはずもない。
だが彼は現実ではない、それを確かめるように軽く手を握ったり開いたりしながら掌を見つめている。
「あーあ、俺何してんやろ…」
手を頭の後ろで組みながらボソリとつぶやき、彼はそのままごろりと寝転がる。
その辺の倒木などを組み合わせて作った急揃えの秘密基地だから当然寝心地は悪いはずだ。
だが彼は寝心地の悪さに構う様子はなく、ぼんやりと空を見つめている。
その空にはまるで彼の心を映したかのようにどんよりとした梅雨らしい分厚い雲が広がっている。
…人を守る仕事につきたくて。警官になりたいのに。
俺、確かにあん時人を殺したんやよな。
警官なれたとして。もしもの時はまたあんな風に人殺すんか、俺は?
それって俺のなりたい警官やないんちゃうやろうか?
おもむろに瞼を閉じる。
脳裏に浮かぶのは無機質な手榴弾の硬さと下から巻き上げる爆風。
そして体を突き刺す銃弾の衝撃。
空想の中の戦場の記憶。
何度かそれが脳裏を浮かんでは消えた後、唐突に彼の祖父の姿が浮かぶ。
彼の祖父は警察官だった。
過去形なのは彼が物心つくころには定年退職で警察官は引退していたからだ。
けれど引退してからもなお、近所でもめ事がある度に頼りにされていた。
ぶらりと笑顔で「またもめ事かぁ。ちょっと行ってくるわ。」と言って出かけては、
いつも笑顔で帰ってきて「爺ちゃんが行けばもめ事なんてあっという間に解決や。」
と言いながら彼の頭を撫でるのだ。
彼はそんな祖父が何よりも格好いいと思っていた。
近所の友達が真似をしているヒーローよりも、彼にとっては祖父の方がヒーローだった。
実際に近所の喧嘩を収める様子を幼い頃の彼は見たことがある。
その時に使っていたのは逮捕術とよばれる格闘術だ。
対象に怪我をさせず、また自らも怪我をしないために編み出されたものだ。
父親が教え、兄や姉そして彼自信が行っていた
外傷を与えるための打撃を主とする空手とは根本的に異なる格闘術。
祖父は暴れる者がいれば、その術を使って場を収めていた。
それが例え包丁を持った相手でも武器を使ったことは一度もなかった。
相手を怪我させることも自分が怪我をすることも一度としてなかった。
ゆっくりと瞼を開けて空を見上げる。
もし爺ちゃんみたいになれたら。
警官になっても銃を使わずに、人を殺さんで済むやろうか。
爺ちゃんは「警官やないから、教えるわけにはいかん。」言うて逮捕術は教えてくれへんかったけど。
今言うてもやっぱり教えてくれへんやろうけど。
爺ちゃんみたいに強くなれたら。
人を殺さんと、けれど誰かを傷つける前に傷つけようとする人止められるやろか。
もっと、もっと強くなれれば。
彼はおもむろに起き上がり、カバンの中からぐしゃぐしゃになりかけた一枚のチラシを取り出す。
そこに書かれているのは本土にある総合格闘技道場の案内。
打・投・締一通り揃った、実践的な総合格闘技を行っている道場だ。
空手よりもある意味逮捕術に近い技術が学べる道場だ。
「…とりあえず行くだけ行ってみよか。」
ぼそりと言いながらチラシとカバンを片手に立ち上がる。
彼の決意に呼応するように分厚い雲の隙間からは青い空が見えていた。
(了)