慎ましくも誠実な父の心、花の顔と謳われた母の美貌を継いだ僕の姉妹たちは贔屓目を除いたって愛らしかった。誰もが褒めそやし、或いは妬んだ。
彼女たちには彼女たちの努力がある。姉がかつて僕を身代わりにした日々は、控えめで目に見える助けを寄越せない父と誇り高く救いの手を必要としてこなかったが故に助けを寄越さない母の間で苦しんだから。
花が花であることを誇る為、姉と、姉を見て育った妹2人が磨いたものを知るからこそ、憎く思うことなど何もない。
けれど、1人性別を違えた僕はある時を境に煩悶することになる。
両親からの愛情、周囲の人からの意識、気が付けば全て姉妹たちのもの。
僕は品を保って育てられはしたけれど、華があるとは言い難かった。
元々、大概の人は僕に無関心であるのは当然だ。
そして、興味関心を示せば好きになるかもしれないのと同じくらいの振れ幅で嫌われる可能性も生じる。
どうすればいい?
人は独りでは生きていけない。嫌われて敵が増えることもやがては死に繋がって行く。
生きていけない、息をしていけない、狭い、暗い、死と闇を恐れる人間くさい本能。這い上がる為の手は。
…身に着けたのは、僕なりに愛でられる方法。間違えてみせることも恥じらってみせるのも今やお手の物。
縋る言葉を出す必要もないくらい、上手になった。
でもそれは、僕の素直な気持ちじゃなくて。だから、相手の素直な気持ちでもなくて。
少しずつ信じられなくなっていく。自分も、僕の罠に掛かって僕を好いた人達も。
あな恐ろしや、本当は花開いてなどいない空虚な自分。
ただひとつ昔から褒められたこの瞳の色。金木犀の花の色。
その花の香りを身に纏えば花として少しは凛と在れたと思ったのに。今やこの蜜色に神魂が宿ってしまった。
だからもう信じない。僕という僕ただ一つの駒は、押し黙って、目を閉じて未来に踏み出していく。
僕が僕であることを愛されたい。必要とされたい。孤独は寒さに似る。花が凍え死なない為の道は。
未だ、分からない。
遊琳の父の名は京祐(きょうすけ)という。
母・杏理と同い年だが口数が少なく、とてもおっとりしていて影が薄い。
遊琳は父が苦手だ。姉に苛められ抗えずに泣きじゃくった時、母は冷たく薄く笑うだけで決して自分を助けない。
(杏理が助けなかったのは自分もまた幼少の頃同じ様な境遇を1人で撥ね退けて生きてきたからだと知ったのはもっとずっと後の事である)
母の笑みが恐ろしくて父の傍へ逃げ込んでもただ黙って和菓子作りに精を出す父親は、幼少の遊琳が求めた何かを満たしてくれる存在では無く。
母の言うことに怯える節は無くても首を横に振る事が殆ど無いことは遊琳に彼を少なからず恨ませるには十分で。
例えるなら纏足。
遊琳はいつしか自分をそう評するまでに歪んだ。
そして中学を卒業した時とうとう京の都から逃げ出したのである。
思い出されるのは母、姉、妹2人の笑み。4人全て違う笑みだけれど、全て遊琳には化け物の様に思えて。
末の妹の無邪気ささえ悪鬼に見えていたのだから精神はとうに限界に来ていた。
しかし高校1年生の夏休み。遊琳はまた京都の地を踏みしめていた。
長期休暇。家族全員(もしくは姉のみ)で押し掛けられたいか、それとも大人しく帰って顔を見せるかと言われ、挙句お盆の墓参りを言い出されれば厳しく季節感覚や礼儀を教え込まれた身では…何より安寧の地を踏み荒らされたくない遊琳にとって選べる選択肢など一つしか無かったのだ。
「……」
離れたのは一年足らず。それでも思い出そうとしても思い出せないほどだった父の顔は見ると何故か記憶通りだと思わせてくれた。
すぐに自分に引っ付きたがる雛乃が探す声に身を竦ませると父が徐に口を開いた。
「こちらへおいで」
滅多に聞くことのない柔らかな声に驚く。遊琳の返答無しにそっと―お姫様に触れる騎士の様な優しさで―手を引かれ、妹たちの居る店側ではなく家の縁側の方に連れ出される。
訳も分からず突っ立っていると縁側へ腰掛けるよう促され、従った時彼は奥から小皿と黒文字を持って来た。その上には…。
「…蕨餅」
「そう。誕生日おめでとう、遊琳」
丸くて、中に餡の入った蕨餅。小さい頃、泣きじゃくる僕の傍で父さんが作っていたもの。
蕨…花言葉は不変の愛。そして、父さんの、弥逢家の家紋は蕨桜。
今も遊琳は父が苦手である。けれど、今はもう、何一つ分からないわけではなかった。