慎ましくも誠実な父の心、花の顔と謳われた母の美貌を継いだ僕の姉妹たちは贔屓目を除いたって愛らしかった。誰もが褒めそやし、或いは妬んだ。
彼女たちには彼女たちの努力がある。姉がかつて僕を身代わりにした日々は、控えめで目に見える助けを寄越せない父と誇り高く救いの手を必要としてこなかったが故に助けを寄越さない母の間で苦しんだから。
花が花であることを誇る為、姉と、姉を見て育った妹2人が磨いたものを知るからこそ、憎く思うことなど何もない。
けれど、1人性別を違えた僕はある時を境に煩悶することになる。
両親からの愛情、周囲の人からの意識、気が付けば全て姉妹たちのもの。
僕は品を保って育てられはしたけれど、華があるとは言い難かった。
元々、大概の人は僕に無関心であるのは当然だ。
そして、興味関心を示せば好きになるかもしれないのと同じくらいの振れ幅で嫌われる可能性も生じる。
どうすればいい?
人は独りでは生きていけない。嫌われて敵が増えることもやがては死に繋がって行く。
生きていけない、息をしていけない、狭い、暗い、死と闇を恐れる人間くさい本能。這い上がる為の手は。
…身に着けたのは、僕なりに愛でられる方法。間違えてみせることも恥じらってみせるのも今やお手の物。
縋る言葉を出す必要もないくらい、上手になった。
でもそれは、僕の素直な気持ちじゃなくて。だから、相手の素直な気持ちでもなくて。
少しずつ信じられなくなっていく。自分も、僕の罠に掛かって僕を好いた人達も。
あな恐ろしや、本当は花開いてなどいない空虚な自分。
ただひとつ昔から褒められたこの瞳の色。金木犀の花の色。
その花の香りを身に纏えば花として少しは凛と在れたと思ったのに。今やこの蜜色に神魂が宿ってしまった。
だからもう信じない。僕という僕ただ一つの駒は、押し黙って、目を閉じて未来に踏み出していく。
僕が僕であることを愛されたい。必要とされたい。孤独は寒さに似る。花が凍え死なない為の道は。
未だ、分からない。
弥逢遊琳には姉妹が居る。
19になる姉・琴花(ことか)、13と12の妹は彩羽(あやは)と雛乃(ひなの)。
歳が離れた影響か母・杏理(あんり)に一番似ているのが姉。その姉が遊琳を苛め、正しい愛情は数年後彩羽に向かう。
更に1年後生まれた雛乃は彩羽をまず第1の姉として考えた為琴花似の彩羽にくっつき回って真似事をするゆえの行為はあっても遊琳にとって姉第3号の割には可愛い妹であった。
『遊琳お兄さまへ』
そんな雛乃が書く、決まってこんな風に始まる手紙。
年賀状の宛名書きにはきちんと「様」と書くのにそれ以外を見ればこうだ。
内容など他愛も無い毎日の報告書。琴花よりも背の低い遊琳の膝に載せても小さいと思える小柄な妹の目から見た世界の話。
節々に兄が居ないことへの淋しさが綴ってあるのがいじらしくて帰りもしないまま目元を和ませるのは許してほしい。
彼女が纏う練り香水と同じ、桃の香りが滲みつけてある葉書。初めに教えたのは自分。確かに懐かしい。
『あと1年と少しになりました。また遊琳お兄さまと暮らせる日が雛は楽しみです。お体に気を付けて、お早うお帰り下さいまし』
タイムリミットを知らせる部分の数字が少しずつ小さくなる以外はいつもと同じ結び文句が書かれた最後の段にまで目を落とす。
青い月明かりが分厚い綿雲の隙間から無遠慮に幾筋も差し込んだベランダに流れる、明日はまた雨だと知らせる様な湿気含みの風を髪に飾ったアザレアの簪で感じ、「面倒」なんて頭に思い浮かべる方が余程手間な文字列を無言の言い訳にして身に纏ったままの翡翠色に紫蘭の花を描いた振袖の袷に無遠慮に葉書を差し入れた所で今まで手紙を支えていた手が小刻みに震えているのに今更気づいた。
右手を見ればその震えにも振り落されることなくダブグレイの金属粉が纏いついていて、青薔薇の帯留めが目に入って。
早く、洗い流さなければ。早く、脱いでしまわなければ。
そんな考えを記憶の中、小さな手と大きな手に咎められる。
不意に切なくなって、生まれ持った両の天蓋をきつく下ろした。蜜色をした二つの真珠を守ろうと貝殻を閉ざす様に。
それでも胸元から立ち上る桃の香りからも断罪の様に降り注ぐ青い月光からも逃げ切れなくて、先程済ませてしまった行為の時は一切出てこなかった涙の熱さに天蓋の奥へ縮こまった臆病で狡い自分が焼かれながら沈められる幻覚に襲われた。