Ciger Bar　「琥珀」｜リアクション

Ciger Bar　「琥珀」

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　煙草を吸い終わり、グラスと空にした記士郎は会計を済ませて席を立つ。
　入れ替わりにやって来たのは、日向透。
「珈琲をお願いします」
　いつもと同じ注文をして、空いている席に着く。
「さすがにここ最近は疲れましたね」
　愛想笑いを浮かべながら店主に話しかけると、透は煙草を取り出す。
　さして吸う方ではない、せいぜい一日に数本程度だが、疲れた時には煙草が良いと、透は立ち上る紫煙を眺めながら考える。
　店主がコーヒーを準備するのを見るともなしに見つめながら、ゆったりと煙草を吸う。
　溜まっていた仕事を片付けていたら、時刻は深夜を過ぎていた。
「お待たせ致しました」
　置かれたカップからは、コーヒーの深い香りが立ち上っている。
　カップを手に取り、コーヒーを飲んだところでまだコートを脱いでいなかったことに気付く。
　コートを脱ぐと肩が軽くなったのを感じて、思わず透は苦笑を浮かべた。
　どうやら、自分が思っていたより疲れていたらしい。残業続きだったのだからそれも当然かと、仕事の事を考えながら煙草を燻らせる。
「仕事帰り、かい？」
　隣に座っていた一颯は、疲れた透の様子を見て声を掛けた。
　ゆっくりと、透は一颯の方へ視線を向ける。
「ええ、最近仕事が立て込んでいて残業続きで……」
「それは大変だ。お仕事は、何を？」
「ただのサラリーマンです。……そちらは？」
「僕は、星ヶ丘でアンティークショップのようなものを営んでいるよ」
「アンティークショップ、ですか……」
　あまり自分には縁がなさそうだ、と透は愛想笑いを浮かべる。少なくとも、会社勤めよりは窮屈ではなさそうだ。
　コーヒーを一口飲む。一颯を眺めていたが、モノクルが反射して自分の姿を映し出すと透は不自然にならない程度に目を背けた。
　モノクルに映る自分の姿は、随分と疲れて見えた。まっとうに働いてまっとうに生きると決めたのは自分だ。本当の自分ではひどく生きにくいから、猫をかぶって生きる決心をした。
　二人の間に流れる沈黙を破ったのは、一颯だった。
「お酒は、好きかね？」
　唐突な問いに、透の反応が遅れる。
「ええ、とても」
「葉巻の方は？」
「そちらはあまり……煙草なら吸いますが」
「そうか。これは、君より長く生きた男の戯言だと思って聞いてほしいんだがね。葉巻もウィスキーも、長い歳月を経て熟成され芳醇な味わいを醸し出す。人もまた同じ。歳月に醸造されて深みを増すんだ。……僕の持論だがね」
「…………はぁ」
　何が言いたいのかと、透は一颯をじっと観察する。本当の自分を看過されたのかとも思ったが、長年続けてきた演技は見破られないだろう。そこには自信がある。
　一颯の言葉が、小さく胸に刺さった。長く生きればまともな……生きやすい人間になれるというのだろうか。少し考えて、それはない、と胸の内で自身の問いを否定した。
　それでも、そうなればいいと少しだけ思ってしまったのは疲れているからかもしれない。
　柔らかい愛想笑いを浮かべて、一颯の言葉に頷く。
「深みのある人間。そう、なれたらいいですね」
「そうだね、僕も……この年になっても、そうなれれば良いと思っているよ」
　一颯は、どこか遠い目をして言葉を紡いだ。
　きっと彼にも色々あるのだろう。透は言葉を返さず、少しだけぬるくなったコーヒーを飲み干した。

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