仕事がすこぶる快調だ。もちろんグラドルと大学生の二足の草鞋は決して容易くない。未だ業界内に蔓延る時代錯誤なセクハラから身をかわし、我の強い同業モデルたちとの衝突や確執を生まぬよう八方美人に愛想を振りまきつつ、欠かせぬ自分磨きに駆け出しの薄給をつぎ込まねばならないし食生活も自制節制の連続だから、表向きのイメージとは裏腹に案外と日々の暮らしは質素である。しかしながら初瀬川 理緒も佐和崎 紗月もそれなりに大舞台を踏んできたし、知名度も鰻登りに上昇中だ。順風満帆。紗月は先日のバレンタインデーなどかの大物ファッションモデルとのインタビューにも臨み、理緒だって培ってきたプロ意識でもって過酷なロケやうだつの上がらないMewtuberとのコラボ企画もばっちりこなしてみせた。
　順調なのである。それはいい。しかしだからこその多忙にあえぐことともなった。
「大学が春休みだからって、忙しさがやわらぐわけでもないのよね……」
「ちょっと時間が空くと、見る間に仕事が詰めこまれちゃうから……」
　同棲するシーサイドタウンのアパートに、二人のぐったりと突っ伏した姿があった。今日はたまの休日、学生としてもグラドルとしても全くのオフだ。一つの予定もない一日はいつぶりだろうか。
　グラドルとモデルを兼業する者をモグラなどと称するらしいが、揶揄されている気分にもなる。必死の仕事のはずが穴倉に籠もり金策に邁進するかのように言われるのは心外だ。突発的にその道へ踏み込むこととなった紗月はともかく、理緒としては好きで続けている仕事だから努力を惜しむつもりも立ち止まるつもりも毛頭ないが、それでも根を詰めすぎれば毒にしかなるまい。当然にしてデトックスは必要だろう。
　今日はそんな一日としたいものだ。
「どうしよっか？　何か昨日の撮影の疲れがまだ抜けてなくってさ。このまま家でぐで～っとしてるのもいいかなぁって……」
「そんなのダメよ、理緒ちゃん。ちゃんと外に出て、お日さまの光を浴びないと。それがリラックスするってことなんだから」
　内気で臆病な少女であったはずの紗月だが、グラドル業や芸能界の荒波に揉まれるうち身についてきた度胸のたまものか、近頃はこうして理緒に迫る程の積極性を発揮することも増えてきた。深層の令嬢めいてピアノを弾いていた奥手な彼女も理緒は好ましく思っていたが、今のフレッシュで瑞々しいエネルギーやパワーを内に宿した紗月も悪くない、ばかりか大層魅力的で思わず抱きすくめたりすりすりしたりはむはむしたくなってしまう。
「……すりすりはむはむ？」
「それでね、ハイキングはどうかなって。九夜山を登るのは体力作りとかトレーニングにもなるし、自然がいっぱいの中を歩くのはきっと気持ちいいよ。山頂ではお弁当を食べて……理緒ちゃん、聞いてる？」
「あ、うん。聞いてる聞いてる、ハイキングね。いいね、行こう行こう」
　とんとん拍子に決まった予定もたしかに悪くない。スポーツや汗をかくのは嫌いではないし山登りもたまにはいいものだ。一人なら気後れしてしまうところだが、恋に愛にと想い寄せ合う二人ならば苦にもなるまい。
「じゃあ、私はお弁当を作るね。理緒ちゃんはコースを調べててくれる？」
「オッケー任せて！」
　キッチンに向かう紗月の尻を眺めてどこか落ち着かず気が逸るような気分を覚えるが、ともかく理緒はスマホを取り上げ「九夜山　ハイキングコース」などと検索してみる。緑に満ちた山野を歩くのは健康維持や活力増強に効果アリ、喫煙や禁酒の足がかりとする者もあれば昨今深まるエコ意識がハイキングや登山んなど自然志向の高まりにも繋がっているのだという。ほうほうなるほどとうなずきページをすいすいスクロールしてゆく理緒だが、画像検索の折にあるサムネイルを目にしてぴたりと指が止まった。
「お……おおお」
「えー？　なあにー、理緒ちゃん。どうかしたー？」
　キッチンで揺れる尻へ向かって叫んだ。実に魂のこもった一声だった。
「温泉だー！！」

　温泉である。
　いや温泉の前に語るべきことがあろう、ハイキングである。緑に満ちた山野を歩き健康維持や活力増強を図り身も心もすっきりとリフレッシュするのだ。健やかなる現実逃避だ、心のデトックスだ。
「はあ、はあ……」
「はー。はー、はー」
　そんなすこぶる健康的な一日となるはずが何やら、二人の息の弾んでいるのはなだらかな丘陵を登るが故にではなく、頬の紅潮も陽光の熱さからではなかった。そもそも３月だ、いい陽気ながら過ごしやすく吹き抜けてゆく風も涼しげでさわやかで、熱中症にかかることもない初春のうららかさである。にも関わらず紗月はどこか息苦しさやもどかしさに肩を上下させている。隣を歩く理緒は足腰を揺らがせ紗月へしなだれかかり、かかる吐息は熱く艶めいた。
「り、理緒ちゃん……私、なんかヘンかも」
「あたしも……はあ、はあ。紗月……！」
　上気し汗ばむ。目に映る優しい緑にも全然心休まらない。意識するのは自然の大らかより恋人の胸に寝そべるゆるやかな丘陵であり、なだらかな曲線を描いて連なる腰回りであり、木々になる瑞々しい果実のごとき唇だった。
「あっ。ダ、ダメ、理緒ちゃん……こんなところで！」
　湧き上がる衝動を紗月も理解し抗うが、理緒は身を任せることにしたらしい。遠慮もなしに紗月の胸元なり腰なりをまさぐり、頬へ首筋へと唇を押し当てられる。紗月の指をくわえ吸われると、痺れるような強い衝動が全身を駆け抜け腰が抜けそうになった。
「紗月、あたし、あたし」
「待って、見てるから、他の人が見てるから……！」
　とは言うが、ちらほらと見かけるハイキング客にもカップルらしき二人組は多く、いずれも紗月と理緒と同じように耐えがたき衝動に耐えたり、何なら木陰でおっぱじめようとする者たちもいたようだ。さすがに最後までいたしてしまう者はなかったが、事ほど左様に神魂の影響は広範へと及んだようだ。
「お、温泉……理緒ちゃん、温泉行こう？」
「うん。うん」
「お部屋のお風呂でなら、二人きりでなら……ね？」
「うん、うん」
　ハイキングはそこそこに寝子温泉街へと向かった。こしらえた弁当は夕食にすることとした。

　転がり込むように部屋へ入り、互いの服を脱がせ合う。もちろんキスの雨を降らせながらだ。
　旅館へ宿泊までするつもりはなかったが、キャンセルが出て一室が開いているのですがいかがどす？　などと京言葉の女将が言うものだから、もう止まらなかった。


　紗月が理緒の指をくわえると理緒は紗月の肩口へ噛み痕を残す。舌を這わせるとかすかに汗の味、それに匂い立つような甘さを覚える。背を抱き支え合いながらに湯船へ身を沈めたところで二人は完全なる制御不能状態となり理性を蕩かした。
「紗月、愛してる。大好き。紗月が欲しい」
「理緒ちゃん、理緒ちゃん、理緒ちゃん……！！」
　長い長いキスをする。
　のぼせる前に辛うじて湯から上がったが、その先の記憶は互いに曖昧だ。翌日に真っ赤な顔をしたまま向かい合う二人が覚えていたのは、深く身体の奥底にまで甘く刻まれた快楽の残滓と心地よい気だるさ、汗濡れ朱に染まる互いの乱れた顔ばかりだった。