偶発的な事故だけどノーカウントを主張するか悩ましい｜リアクション

偶発的な事故だけどノーカウントを主張するか悩ましい

　桜花寮の友達に会いに行った帰り道。綾辻綾花は歩いては空を見上げ、また歩いては頭を振り、また歩いては少し顔を赤らめてしゃがみ込んだ。

（……キスをする日って本当かな？）

　考え事をするように唇に触れた人差し指が、人肌の温度を教えてくれる。
　もし、これが早川珪の物だったらと思うと、恥ずかしさが勝って何も考えられなくなりそうだ。

（でも、キスをするなら好きな人……ですよね）

　それが思いあった物ではなく、物語でよく使われる偶然の出来事だとしても、そんな偶然を引き寄せられることが素敵だと思う。
　偶然はキスとしてカウントすべきかは、少し悩んでしまうけれど。

「うん、やっぱり図書室寄ってみようかな」

　夏休み中でも、自主学習で利用できるよう開放しているはず。
　珪は休みかもしれないけれど、一目だけでも見れるチャンスがあるかもしれない。綾花は立ち上がって、猫鳴館への道とは逆の下り坂を進もうとした。

「ひゃっ！？」

　突然、自転車――だろうか、何かが猛スピードで通り過ぎていった。
　駆け抜けていった後には煙草の煙が遅れて漂い、夢見心地だった気分が台無しだ。少し先には、同じように煙に当てられたのだろう、咳き込んでいる人が見える。

「……珪先生っ？　大丈夫ですか！？」
「ん？　綾辻さ……コホッ、大丈夫、ちょっと変な咳き込み方……ケホッ」

　一度咳き込むと止まらないこと自体はあれど、それが辛くないわけではない。綾花は珪の背中をさすりながら、早く落ち着くように願った。

「コホッ、コホ…………はあ、ごめん、もうだいじょう――」
「あの、私に何かできること――」

　お互いに目を合わせようと顔を覗き込むような形になり、触れてしまうのは偶然だった。
　最初は、見たこともないくらい至近距離の珪の瞳が、驚いたように開かれていているのが珍しいなと思って。
　それから、夏の日差しに黒い睫毛がきらめいているのがとても綺麗だと思って。

（それから……）

　事故と呼ぶには優しい、夢と呼ぶには明確すぎる、必然と呼んでもおかしくないくらい、しっかり合わさった唇。
　何が起こったのかわからないので身動きもできず、どれくらいの時間のことだったかわからないけれど。ゆっくり離れた顔が、少し困ったように笑ってやっと理解した。

「あの、えっと……そのっ……あの」

　言葉が、見つからない。
　その角を曲がってくるまで、いっぱい考えていたのに。実際に起こると頭が真っ白になって、どんな顔をすればいいかも、何を言えばいいのかもわからなくて。

「……ごめんね」
「え……」
「咳き込んでて、びっくりさせたよね」

　申し訳なさそうに笑う珪が、何かを含めているのかはわからない。
　わからないけれど――

「びっくり、はしました。けど……でも、珪先生だから」

　だからお願い。どうかそれ以外の意味を含まないで。
　そうは思っても、彼の嫌な思い出になりたくない不安もあって。

（私は嫌じゃないけど、）

　彼が同じとは限らないことが、とても苦しい。
　祈るように瞼を閉じて、もう一度見据えた珪は、もう困った顔をしていなかった。

「綾辻さんが笑えるなら、大丈夫」

　彼自身の戸惑いだったのか、生徒として案じてくれての物だったかは語られなかったけれど、それを問う余裕も綾花にはなかった。
　だけど、この偶然をゼロにだけはしてほしくなくて、めいっぱい微笑み返す。
　嫌じゃなかったと伝わればいい。それで安堵してくれるなら、今は。

（珪先生が嫌じゃなかったら、いいな）

　これはとても大切な、大好きなあなたとのファーストキス。
　

　火照った頬をパタパタ仰げるのなら、暑い暑い夏はもうしばらく続いてもいいかもと、そんな風に思った。

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