寝子島あやかし譚　蟹坊主｜リアクション

寝子島あやかし譚　蟹坊主

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　その晩、三宅葉月は寝付けないでいた。眠くなるまで夜更けの寝子島を歩き回っていた彼女は、何故か自分が落神神社に居ることに気づく。
　歩きまわるといっても自宅である星ヶ丘寮の近くのつもりだったのに、いつのまにこんな山の中へ？
　眠気を覚えるまでの散歩としては遠出が過ぎると帰ろうと、踵を返しかけたその時。
「今のは……」
　誰かの悲鳴が聞こえた気がして、そちらへと顔を向けた。
　すぐにも視界に飛び込んでくるのは、スケッチブックをひしと抱えながら半泣きで逃げ惑う、黒白滴の姿。
「ひええええっ！？　なんなのぉ！？」
　明らかにただごとではない様子に、葉月は何事かと思い歩み寄ろうとする。
「ねえあなた、何があった……」
　……の。と、言葉を終える前に、葉月は滴の後ろから迫ってくる影に気づいた。
　雑草をかき分けて走るその影は巨大で、追われている滴の背丈よりも遥かに大きい。
　それはカニだった。
　ただひたすらに巨大で、それ故に異様な一匹のバケガニだった。
　カニは葉月と滴の行く手を阻むようにまわりこんだかと思うと、小さな目玉をぎょろりとさせて葉月を見つめる。
「──両足八足。横行自在にして、眼は天を差す。これ、如何に？」
　年老いた僧侶のような威厳ある声が葉月に謎かける。いったいどうやって発声しているのかは知らないが、状況から考えるに謎かけの主はこのバケガニなのだろう。
　そしてこの謎かけに、葉月は思い当たる節があった。
「カニよ」
　淡々とした調子で答え、バケガニの様子を伺う。
（蟹坊主ならこれで大丈夫のはず）
　果たして、バケガニの動きがピタリと止まった。逃げ惑っていた滴も足を止め、困惑した様子でバケガニを見つめている。
「行くわよ」
　そんな滴に呼びかけると、葉月は山を降り始めた。
「え？　あ、うん！　……あのカニ、なんなの？」
「蟹坊主。昔話なんかに出てくる妖怪よ」
　そうして二人が落神神社を後にしようとしていると、背後で草を踏む音がした。その音はすぐさま、ガサガサと草をかきわける音へと変化する。
「ひぇ！？　ま、またきたぁ！？」
　滴が半泣きで叫ぶ。振り返るまでもなくその意味を察した葉月は、滴の手を取ると走り出していた。
「逃げるわよ」
　戦闘向けのろっこんもなければ腕っぷしもない以上、これしか選択肢はない。
　しかし雑草がのび放題の道はただでさえ走りにくいうえに、視界の通らない深夜となればなおさらのこと。しかも既に逃げ回っていた滴の体力の消耗は激しく、葉月自身もそれほど体力があるわけじゃない。実際、早くも息が上がり始めている。
　対して蟹坊主は、横歩きしかできないとはいえ素早い。しかもあやかしの類なだけあってか、体力は有り余っているようだ。追いつかれてしまうまで、そう時間はかからないだろう。
　ならばせめてと、ぶつけられそうな石でもないかと葉月は視線を巡らせた。雑草の陰に片手でギリギリ掴めそうな石を見つけ、拾い上げようと手を伸ばす。
　しかしその瞬間、蟹坊主が口から泡を吐き出した。ひどくべたつく泡は葉月の腕に命中し、地面とくっつけてしまう。
「──両足八足。横行自在にして、眼は天を差す。これ、如何に？」
　悠々と発された問いかけは、まるで悪役が獲物を前に舌なめずりするかの如く。
　息が上がって答えられない二人に、蟹坊主がハサミを振りかぶる。
　それは人の頭くらい、簡単に挟み潰せそうな巨大さをしていた。

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