プルーストの追懐｜リアクション

プルーストの追懐

◆もう忘れない

「いらっしゃいませ。あら、可愛らしいお客様」
「ど、どうも」

　そういう店員の声と共に入ってきたのは、愛猫萌々子だった。店員のリップサービスを受け流しつつ、萌々子は入る時に感じた、何とは言えない懐かしさの正体を探していた。それに気付いたのか、店員は棚の中から香水瓶を一つ選び彼女に見せる。それは中にラベンダーの花が入った紫色の小瓶だった。
　それを見た瞬間、萌々子の頭に幼い頃の記憶が蘇った。

「お母様！」

　病室に幼い萌々子が入ると、ベッドに横たわっていた女性は身を起こし、彼女に笑顔を見せた。

「今日も絵を描いてきました」

　女性に笑顔を返すと、萌々子はカバンから絵を取り出して、女性に差し出す。すると、ラベンダーのポプリの香りがふわりと漂った。女性ーー彼女の母ーーが好きだった香りだ。それと同時にがらりと病室の扉が開き、萌々子の後を追うように、彼女より十は年上の青年が入ってくる。彼女の兄だ。女性はそちらにも笑みを向けつつ、萌々子の絵をしみじみと眺めた。
　小学六年生の萌々子にとって、母の入院は不安と寂しさの源だった。父は一族の会社を引き継いで仕事に追われ、家族と顔を合わせるのも数回ほど。それは萌々子から少しずつ気力を奪っていった。ただ……

「萌々子は絵が上手ね」

　と母が言うと、萌々子は嬉しくてどこからか力が湧いてきた。
　それから母の入院は約一年ほど続いたが、彼女の卒業を待たずに帰らぬ人となってしまった。

「お客様？」

　店員の言葉で萌々子は現実に引き戻された。

「如何なさいましたか？」

　気付くと彼女は十六歳に戻っていて、風景も寝子島のそれになっている。そこで彼女ははっとした。先程まで見ていたのは、寝子島での生活で忘れていた大事なこと……絵を趣味にするきっかけとなった出来事だ。

　ーーお母様、私は今、自分の意思で道を決めて進んでいる真っ最中です。

　萌々子は改めてその小瓶を見る。紫色のそれは鋭くきらりと光っていた。

　ーーいつか自分の考えを押し付けるお父様とも和解して、本当にやりたいことを認めてもらいたいと思います。

　そう決意すると、萌々子は店員に向かって口を開く。

「この香水をください」

　自分用かどうか聞かれて、萌々子はこう返した。

「使うかどうかはわかりませんが、いつも持っておこうと思いまして……自分の好きなことへのきっかけ、原点を忘れないようにするためです」

　そう言った萌々子の目に宿る強い光に気付くと、店員は彼女を応援するようにコクリと頷いた。

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あとがき

担当マスター：六原紀伊
ファンレターはマスターページから！

お久しぶりです。大人の事情で戻ってまいりました。六原です。
不思議な香水店の不思議な一日、いかがでしたか。
『Linoniumu』を舞台にしたガイドは今後とも出す予定ですので、今回ご縁が無かった方もその時はよろしくお願いします。

今後の予定ですが、臨海学校シナリオを担当することになりました。
運営チームの皆様、ありがとうございます。頑張ります。

それではご参加ありがとうございました。

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