＜月華＞トワイライト・スターダスト　～甘い星は島を蝕む～｜リアクション

＜月華＞トワイライト・スターダスト　～甘い星は島を蝕む～

破

　少し時計を撒き戻して、某所から話を始める。

（……ん？）
　自家用車を運転していた恵御納久隆は、道を行く最中に砂利のような音を聞いていた。いつの間にか、フロントガラスを何かが跳ねている。そして、助手席に座っていた妻の恵御納理沙が表情を険しくした。
　止む終えずウィンカーを出し、道端に車を止めたとき、理紗が苦しそうに口を開いた。
「ドロップが降り続いたらこの島が沈んじゃうなんて……そんなのいやよっ！」
「……それは、本当か？！」
　理紗は娘の夏朝同様『もれいび』である。それ故にテオの声を聞いたのだ。久隆は『ひと』ではあるが、妻の事情を知っていたので可能性はある、と判断していた。
　理紗は夫の問いかけに対し、僅かに震えながら頷く。
「まだ夏朝ちゃんにチョコを渡してないのに……。勿論、その後も沈んだら困るわよ」
　理紗の言葉に、久隆も頷く。恵御納夫妻は、愛娘へ内緒でチョコを渡しに行く途中だった。だが、このトラブルでは進めそうもない。第一に、飴に足をとられる人の姿もあった。
「大丈夫、ですか？」
　久隆は転びそうな老人に手を貸し、問いかける。そして、理紗も溺れそうになっている親子のネコを塀に乗せてあげた。２人は頷き合うと、街の人々を手助けするのであった。

　黄昏色の空から、絶え間なく降るドロップ。幻想的ともいえる光景の中を、緑色の髪を揺らして行く少女が１人。――桜庭円だ。
（テオ、どこかな……。結構積もってきたみたいだし、心配だなぁ）
　彼女は、部活を終えて帰宅している最中、テオの声を聞いた。心配になった彼女は、テオの名を呼びつつ探していた。
　暫らくして、彼女はドロップに足をとられ今にも転びそうになっているテオを拾い上げた。
『……タイミング、いいな』
「こっちもそう思ってるよ」
　そんな会話もそこそこに、円はテオを近くにあった置物の屋根におろし、空を見上げた。けれども何も見えない。不思議に思いながらも自分の掌に落ちてきたドロップを口にした。
　レモンの風味が鼻腔を抜ける。僅かに心の奥が曇ったような気がした円は、テオを抱きしめる。
「あのさ、テオ」
『なんだ？』
「ちょっとだけ、聞いてくれるかな」

　僕はね、自分が『女の子としての価値が薄いって思ってる。それには、理由があるんだよ。
　男女の親しい友達を作るのは、ちょっと得意かも。でもね、誰の『特別』にもなれなかった。

　円はどこか遠い目で空を見上げて語る。普段は元気な彼女だが、今、その表情は僅かに苦しそうな顔になっていた。

『特別』にしたいなぁって思う子が、恋愛相談してきたこともあったよ。それを、馬鹿みたいに真面目に考えて、答えて。それで、みじめになって、しっとして、そんな自分が嫌いになって……。

　――僕は誰の特別にもなれない
　
　意地で誰にも相談しなかったけど、そう思っていた時期は確かにあったんだ。

「ごめんね。変な話しちゃって。今はもう、大丈夫だよ。好きな子も居るしさ」
『別に』
　円がいつもの調子で苦笑すると、テオはそっけなく言う。だが、妙に声が暖かい気がした。
　ふとその時。いつの間にか泣いていたのだろうか、円の頬をつたい涙が水溜りに落ちる。そして気づいた。空に少女が浮かんでいる事に。
（肉眼じゃ見えない？　えーっと、これならどうかな？）
　円が手鏡で空を映すと、確かに少女が浮かんでいた。ゆれる尻尾と耳が虎のように思え、次の瞬間には幾つ物眼差しや失恋の光景が脳裏を巡った。
（異世界の月にかけられた呪い……）
　円はねこったーを見、なにかを見つけると１つ頷いた。
「テオ、行ってくるね」
『おう。無茶、すんじゃねーぞ』
　テオがぶっきらぼうに言って円を見上げる。地面を蹴った円は、ふんわりと浮かび始めていた。