フェリーのタラップが、ぎしりと鳴いた。
初夏の湿った潮風が、寝子島港のコンクリートをなでていく。白い船体の腹から、観光客とも地元民ともつかない人々がぞろぞろと吐き出される。
その最後尾あたりに、ひときわ存在感のある女が立っていた。
大きなキャリーケースを転がしている。主な中身は衣装、伴奏データと小型スピーカーにマイクだ。ケースの持ち手が食い込む指はふくよかで、節にはもっちりと丸みがあった。
四十代。堂々とした体躯。オレンジ色のサングラス。あざやかな紫のストールが、潮風にあおられてひるがえった。
「……やっぱり、港はええわぁ」
誰にともないつぶやきながら、よく通る声だ。腹の底から響くような、鍛えられた声帯の震えだった。
彼女はタラップをゆっくり降りる。ヒールが金属を叩くたび、軽く音が跳ねる。
ナイアガラ滝子──もちろん芸名だ。演歌歌手。底力のある歌声を武器に、若いころは地方の歌謡コンテストを荒らしたものだ。けれど滝子はキャリア半ばで、遠い異国生まれの男と恋に落ちて結婚した。ふたりの子宝にも恵まれた。
子どもが生まれて一度、歌をやめた。マイクを置いて「お母さん」になった。夜泣きと洗濯物と、スーパーの特売日が生活の中心になった。
だが滝子は歌を諦めきれなかった。やがて夫と子どもを置いて、ふたたび旅(ロード)に出たのだ。
戻ったはいいが所属レコード会社はない。芸能事務所もないしマネージャーもない。営業電話は自分でかける。スケジュール帳は自分で埋める。
主な活躍の場は全国の温浴施設、パチンコ店、介護施設や観光ホテルの宴会場などなど、昼の部かつ無料観覧がほとんどだ。
終演後は物販コーナーでCDを手売りする。売れ行きは日によるが、それでも不思議と食えている。成功とはいえないものの、干上がってもいない。宿から宿への根無し草、トータルで全国を四周半はしただろうか。
今回もそんな営業活動の一環で、滝子は寝子島を訪れた。
しかしそれにとどまらない。滝子は大いなる試練のときを迎えようとしている。
この島には、夫と子どもが暮らしているのだから。
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野々 ののこはドアを開けた。
「どうぞ! 入って入って」
散らかってるけど、とののこは苦笑いするけれど、記憶にある『ののちゃんの部屋の散らかりっぷり』からすれば、かなりマシというかウソのようというか、ともかくも片付いていた。
もちろん、あっちこっちに漫画のタワーがあるし、怪獣のソフビ人形は転がっているし、調理器具のボウルが、なぜだかテーブルに伏せて置いてあったりもするのだが。少なくとも布団を敷いて寝るスペースは充分にある。一歩ごとに次の足の踏み場を探すような、かつてのカオスとは比較にならない。
「一時期ほんとにゴミ屋敷だったんだよ~。手伝ってもらって片付けてさ。いまは……まあ、いささか後退はしてるけど」
小豆色の座布団を敷き、ボウルを片づけ、ペットボトルの茶をグラスに注ぐ。
グラスの下には『ねこのしま』とロゴの入ったコースターが敷かれていた。小さな猫のイラストが、やけに穏やかに笑っている。
ののこは正面に座ってまじまじと、三ヶ月ぶりに見る親友の顔を眺めた。
「で、どうしたん? いきなり『寝子島に着いた』なんてNYAINが来て、心臓止まるかと思ったよ」
「ちょっとね……今日、平日だし、連絡するか悩んだんだけど……」
「ご心配なく!」
ののこは歯を見せる。
「私は毎日が日曜日! 天下御免のニートだから!」
「あはは」
でも返ってきた笑いは軽い。軽すぎるほどに。
「せっかく帰ってきたんだし、みんな呼ぼうか? 夜だったら時間──」
と言うののこに、食い気味に彼女は声をかぶせた。
「やめて」
強い声だ。視線を外す。
「できれば誰にも、知らせないでほしい。私がいま、寝子島(ここ)にいること」
あぐらをかいていたののこは、「わかった」と言って正座し直した。
「どうしたの、あおいちゃん?」
なんでも話してよ、とののこは
七夜 あおいに笑みを見せた。
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たいていのことには動じない
鬼河内 萌だが、さすがに駆け寄らずにはいられなかった。
「ちょ、どしたんですっ!?」
オーナー、社長、店長、呼び名は自由だがとにかく『ザ・グレート・タージ・マハル』の経営者
アーナンド・ハイイドが憔悴しきった表情で店に現れたのだから。血の気が引いて目はうつろ、普段より数歳は老けて見えた。
萌の声を聞きつけ、
野菜原 ユウも厨房から飛び出してくる。
「大丈夫ッスよ店長!
向かいの店ガンガンやってるけど俺頑張ってるし、なんとか売上も……今日もホラ、開店前からもう常連のお客さんが……」
奥の席から「チャオ~」と手を振っているのは、誰かと思えば
みちゃ子こと
宮小路 美沙(みやこうじ・みさ)ではないか。「ブランチですわ~」などと歌うように言っている。
どうも、とアーナンドはみちゃ子に応じたものの、やはりその場に倒れ込みそうな顔色だ。「座ってください、とにかくっ!」と席を用意して、萌はアーナンドの言葉を待つ。
背もたれに体をあずけたとたん、アーナンドは糸が切れたように肩を落とした。
しばらく沈黙が続いたあと、ようやく口を開いたのである。
「……ワタシ、奥さんと別居してるって前に言いましたね」
「うん。でもアーナンドさんは、まだ奥さんのこと……」
「愛してます」
即答した。でも視線を落とす。
「うちの奥さん、演歌歌手なんです。『ナイアガラ滝子』って芸名で」
「ええっ!」
なんだかすごいステージ名だが、もちろん聞いたことはない。コブシの効いた歌声を萌は想像する。インド生まれ男性と演歌歌手がどうやって知り合ったのか、それこそMMRの出動案件☆ なんて思わないでもなかったが、さすがに言うのは控えた。
「彼女、日本中、回ってるんです。ドサ回りです。出ていくとき言われました。『ビッグになるか、離婚の決心がつくまでお父ちゃんにも子どもらにも会わん! 堪忍や、堪忍したってや……!』って」
あーだから、とユウは萌に耳打ちした。「店長、演歌聞くと泣き出しちゃうんだな……」
萌とユウの間に、重い空気が落ちる。
アーナンドは両手を組んで額に押し当てた。
「今朝、滝子さんから連絡がありました。『寝子島に来る』、と」
「それって──」
萌の言葉は最後まで出なかった。アーナンドはかすかに首を振る。
「ワタシ、怖いです」声が震えている。「ビッグになったとは思えないです。ということは」
そこから先は言えない。
「ワタシ、ずっと待つつもりでした。何年でも。子どもたちにも、ママは帰ってくるって……」
笑おうとして失敗する。
「でも、もし彼女が、ちゃんとケジメをつけに来たのだとしたら」
店内がしん、と静まる。
萌とユウは、顔を見合わせるしかなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。桂木京介です!
ガイドは……長いですね。私の場合、このくらいの長さでないとシナリオガイドにできないようです。読まなくても大丈夫ですよ。
鬼河内 萌さん、ガイドへのご登場ありがとうございました!
ご参加の際は、このガイドにこだわらず自由にアクションをおかけください。
おことわり
桂木の『らっかみ!』タイムは四年目(1372年)七月初頭に入りました。これは独自の時間軸であり、他のマスターさんのシナリオ展開については前提に含めていません。そのため、『今後成立予定』とされている出来事を既成事実として扱うこともありません。その旨、あらかじめご理解いただけますと幸いです。
概要
おことわり、で指定した時期、タイトルやシナリオガイドからイメージできる内容であれば特に制限はありません。NPCについて
制限はありません。ただし相手あってのことなので、必ずご希望通りの展開になるとはかぎりません。ご了承下さい。特定のマスターさんが担当しているNPCであっても、アクションに記していただければ登場できるようチャレンジします。NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、交際相手、世界を変えようとテロリスト活動をする青年と、彼の危うさに気づきながらも距離を縮めていくファム・ファタールな少女……など)を書いておいていただけると助けになります。
参考シナリオについて
参考シナリオがある場合は必ずタイトルとページ数も記入くださるようお願いします(2シナリオ以内でお願いします)私は、自分が書いたシナリオでもタイトルとページ数を指定いただけないと覚えていないのでご注意ください。いつも書いてますがマジです。
それでは次はリアクションで会いましょう。
あなたのご参加をお待ちしています! 桂木京介でした!