ごちんと派手な音が立ったがけっして、事件でも事故でもない。
「C'est la mer !(海っ!)」
おでこを窓に衝突させ少女が声を上げたのだ。黒い瞳にはスプーン一杯の砂糖みたいな星々が浮かんでいる。
こっちにも海、あっち側も海、左右両方が真っ青な海になったことが、とにかく嬉しくてたまらないらしい。
水色した寝子島電鉄(通称『ねこでん』)の車体は、カタコトと音立てながら寝子島大橋に入っていた。大橋に入れば街並みは消え、進行方向の左右両方が海という絶景になるのだ。
空はよく晴れており雲ひとつない。二台の水上バイクが、ぐんぐん速度を上げ競い合うように併走しているのも見える。
これが寝子島、という意味になる言葉を少女はつぶやいた。
これから彼女が暮らすことになる場所だ。
少女といってもすでに十八歳、ずばぬけて高い身長と長い手足、ヘアスタイルはきつく編んだコーンロウで迫力があるが、柔和な大きな目をもつ顔立ちは実年齢よりむしろ幼い印象を与える。きめの細かな黒い肌は、彼女がアフリカ系であることを物語っていた。
名は
シュリー・リン、彼女は四月から木天蓼大学に入学する。木天蓼大学体育学部は優秀な学生に対し学費全額免除制度を用意しているが、この年大学から同様の条件を提示された者はわずか数名で、しかもうちふたりが女子バスケ選手だったという事実は、(狭い界隈とはいえ)スポーツジャーナリズムの世界でちょっとした話題になった。
寝子島には、とシュリーは思った。
あの子がいる。
全国規模の舞台で二度、激突した寝子島高校女子バスケ部のキャプテンだ。対戦成績は一勝一敗に終わった。
彼女、めちゃくちゃカッコよかった!
対戦相手だというのに何度か見とれそうになったものだ。ウィンターカップの決勝戦終了後に話しかけたかったのだが、ついぞ声をかけられないままに終わった。
とっさに『ライバル』と口走ったものの、キラキラ輝いていた彼女はきっと、自分など眼中にないだろう。
会いたいなあとシュリーは願う。
友達になれるかな。
なれたらいいな。
この点いささか自信がない。たいていの女子よりは頭ふたつ分は背の高い自分なのだ。フランスにいたころならともかく、日本に来てからはバスケ部のチームメイト以外には怖がられるばかりだったから。
運良く彼女に会えたらどんな話をしようか――考えをめぐらせているシュリーの隣の車両では
七夜 ソラがシートに座り、左右の拳を握りしめていた。
また来ちゃった。
けっこう交通費もバカにならないけど。
でもいいじゃんとソラは思う。ソラも来月から寝子高生、姉(
七夜 あおい)と同じく桜花寮に入る予定なのだ。だから本日の寝子島訪問は予行演習事前学習でなきゃリハーサル、ともかく前もって遊びに行って寝子島のことを知っとく、それでいいじゃんと強く強く言いたい。
ていうかー、『クラン=G』のバイト募集情報、現地じゃないとゲットできないからなぁ。
このインターネット・デウス・マキナ
(※)の時代にそれはないよなー。
ホビーショップ『クラン=G』、先日ソラはこっそり寝子島に遊びに来てこの店に迷いこみ、たちまち魅了されてしまったのだ。
店を訪れたことがそもそもの偶然だった。急に雨が降ってきたので雨宿りのため自動ドアをくぐったにすぎない。ホビーショップという言葉すら意味不明だった。ソラはトレーディングカードを含むゲーム知識は皆無に近く、プラモもモデルガンもさわったことすらない。しかしその場でプレイヤー数が足りないボードゲーム卓に誘われ、時間つぶし目的でわけもわからぬまま参加した。自分以外の参加者は全員知らない顔だ。興味ゼロだった。
ところがこれが、忘れられないくらいの体験をソラにもたらしたのだ。一言でいえば「むっちゃ面白かった!」
ボードゲームなんて将棋とトランプをやったことがある程度だっただけに新鮮だった。度胸と交渉の陣取りゲームにハッタリ勝負のカードバトル、反射神経勝負のワードパズル等々、サイコロを使うものコマを使うものも全部知らない世界だった。なのにすべてがソラの脳に快感の槍をグサグサと突き立てた。
お金なんてもちろん賭けていないし参加料すらかからなかったというのに、一時間もたつころにはもう、「あと一回だけ、一回だけ! 次は勝てそうな気がするんだ!」と初対面の顔ぶれに懇願している自分にソラは気づいた。
楽しかったなー、こんな世界があると思わなかった。
それにとソラは思う。
あんとき一緒に遊んだ子、超かわいかったし!
紅という名前しかわからなかった。たぶん本名ではなくニックネームだ。彼女とはいくつかのゲームを一緒にプレーしただけで終わっている。年齢も同じかひとつ下くらいのようだが正確なところはわからない。
でも、紅のことが忘れられない。
どストライクという言い方は下品かもしれないが、見た目はもちろん性格も話し方も、笑い方にいたるまでソラにとっては品質保証マーク付きの好みのタイプだったのである。どうやら彼女はここの常連らしい。そして『クラン=G』は、今月途中で経営元が変更になりリニューアルするそうだ。人員も大きく入れ替わることだろう。リニューアル後のバイト不足が悩みのタネと、店長代理と呼ばれていた眼鏡の女の子(この子も超かわいいとソラは思った)も言っていたではないか。
つまりバイト熱烈募集ってことだよな!?
あの日、バイト募集の張り紙を壁に見た気がする。詳細をメモらなかった自分が悔やまれてならない。四月からならソラも高校生、大手を振ってアルバイトできる身分だ。そうなると、
あの紅って子と、
それがだめでも店長代理の子と、
親しくなれる可能性があるってことじゃないかあ!
きっとバイト志願者はひきもきらず、すでに殺到しているにちがいないとソラはふんでいる。
なので急がねばならない。枠が埋まる前に『クラン=G』に応募したい。だから思う。
絶好の機会があるとすればそれはまさに今日!
チャンスの神様には前髪しかないっていうよな。ならその前髪、がっちり握ってみせる。
行って、バイト申しこんで、遊んで、紅って子と親しくなる! コルトパイソンでも可! じゃなかった眼鏡の店長代理でも可! 両方ならなお良し!
なお本日『クラン=G』は改装のため臨時休業なのだが、その事実をソラはまだ知らない。
ところでソラの正面の席には有名人が座っているのだが、若き大きな眼鏡をかけマスクまでしているのでソラは気がつかないだろう。
気がついたとしたら「あっ、
文梨 みちる!」と失礼にもほどがある反応をしてから「……さん」と申し訳なさそうにつけ加えるかもしれない。
なかば閉じかけた目をみちるは窓の外に向けている。いまの気分とは不釣り合いなほど青い空と海を、視界の表面に受け流す。
いつもなら寝子島行きはみちるにとって心はずむ機会だ。クラブ『プロムナード』の面々とすごしたり、猫カフェ『ねこのしま』や古書喫茶『思ひ出』、バー『Holländer』などなじみの店を訪れるのは、本業はもちろんタレント弁護士としてテレビ出演に雑誌コラム連載執筆、取材撮影キャンペーンに引っ張りだこの彼女にとっては大切なリフレッシュの機会だ。あまり大っぴらには言わないが、大学時代の同窓生
星山 真遠と会う口実ができるのも楽しみだったりする。
だが今回ばかりはみちるも、手放しで来島を喜ぶ気持ちにはなれなかった。
そういえば――。
寝子島に来るのは九鬼姫(
八幡 かなえ)の葬儀以来ね。ずいぶんご無沙汰になっちゃった。
なのに、次の機会がこれだもの。
やがて電車は寝子島シーサイドタウン駅に停まった。
背負ったリュックサックのベルト左右を、しっかり握ってシュリーはホームに降りる。
飛び降りるようにしてソラは改札へと小走りでむかう。
それから遅れることしばし、数少ない乗客の最後尾、とぼとぼとみちるは駅舎から出た。
ああやっぱり。
みちるは気がついた。
たとえ新宿駅の人混みであろうと、一目瞭然の姿である。適度に空いたねこでん駅で、目立たないはずがあろうか。
彼はスキンヘッド、ストライプ柄のスーツに薄い眉、チタンフレームの眼鏡の下からは、抜き身の刃みたくシャープな視線がのぞいている。見た目だけなら絵に描いたような反社会勢力の構成員だが、実のところ彼は寝子島署勤務、しかも刑事ではなくて事務員なのである。ギャップ大きすぎ! とみちるは何度言いたくなったことかわからない。なお彼の名は
滑山 健(なめらやま・たけし)という。
「どうも」
みちるは強張った笑みを浮かべた。
空からねこでんの駅を見下ろすと、見えないものも見えてくる。
ふーん、と
風の精 晴月はつぶやいた。
なんだか私と似た子がいるね?
外見は別に似ていない。制服を着た駅員だ。といっても小学一年生くらいか。駅員ごっこ? しかし晴月は彼女が『本職』だとなぜか確信していた。
あの子のこと、見える人と見えない人がいるみたい。
なにせ膝から下がに中途から消えて、なんだかにょろにょろしているのである。きっと人間ではないだろう。
車両点検かホームの安全確認か、とにかく
餅々 きなこは駅舎をうろちょろとしている。
※デウス・エクス・マキナ(deus ex machina)のもじり。元の言葉は『話が息詰まったとき万能神的な存在が突然現れて少々強引でも話を解決してしまう』という意味の作話手法だが、ソラは『万能』くらいの意味で考えている。要は、『ネットって万能じゃね?』くらいのこと。
ここまでお読みくださりありがとうございます。マスターの桂木京介です。
例によってガイド長いです。すいません。でも読まなくても(ガイドの話にからまなくても)大丈夫です。
星山 真遠さん、名前を使わせていただきました。ありがとうございました。
ご参加の際は、シナリオガイドにこだわらず自由にアクションをおかけください。お待ち申し上げております。
概要
春です。あなたはもう、四月からの予定に動き出しているかもしれません。ぽかぽか暖かな寝起きに、心地よくまどろんでいるのかもしれません。
一方で今日は、なんだか朝からそわそわするのです。特に予定があってもなくても、素敵な好機がめぐってきたような気がしてきたからです。もしかしたら千載一遇のチャンスが転がっている……? そんな予感に満ちたある日のある場面を描きます。
もちろん、「予感だけだったぜベイベー」という事態もありえますけれども。
テーマがあるとすれば以上です。
日常シナリオという軸で進めます。縛りはほとんどなく基本は自由なのでお気に召すままアクションを考えてみてくださいませ。
参照シナリオについて
これまで進めている物語があり継続をご希望される方は参照シナリオ(2シナリオ以内でお願いします)とその該当ページを教えていただけると大変助かります。
桂木京介が書いた話でも私は忘れている可能性が高い(アホですね)のでご教授よろしくお願いいたします。
NPCについて
ご注意ください。本作では以下のNPCしか登場できません。
・ガイドに名が挙がっているNPC
・野々 ののこ(手持ち無沙汰となったソラを回収するかもしれません。ソラとはあおいを介してすでに知りあっています)
・『プロムナード』『ザ・グレート・タージ・マハル』『クラン=G』『ハローニャック』『ねこのしま』(いずれも店名です。知らない方は特に気にしなくても問題ありません)の関係者、寝子島警察署の関係者
・Xキャラには制限がありません。誰でも登場可能です!
・桂木京介が書いてきた未登録NPC(ガイドでは鈴木 紗櫻都)にも制限はありません。全員可能です。
参加PC数もしぼっていますのでご了承いただけると幸いです。
また、相手あってのことなので、必ずご希望通りの展開になるとはかぎりません。ご了承下さい。
追伸
ガイドで出てくる三人はそれぞれ、目的を抱いているわけですが、文梨 みちるについてだけは明らかにしていません。というか実はマスターは何も決めていません、もし彼女にからむアクションをいただければ、その内容に合わせて工夫します。これぞPBWというやつですね。
あなたの参加とアクションを心から楽しみにお待ちしております!
それでは次はリアクションで会いましょう。 桂木京介でした!