真冬、それも深夜の住宅街は墓場のように静かで、自分の心音すら聞こえる思いがする。
フタのやぶれたポリバケツの陰に隠れている。
できるだけ体を小さくしようと地に這い、ブロック塀に体を押しつけ息を殺した。職業柄追われた経験は少なくないが、ここまで追い詰められたのは初めてだった。
寒い。
眉も凍り付きそうなほどだ。
しかし
根積 宏一郎の額には汗が浮いていた。その一方で震えてもいる。
「ねえ」
声がした。
街灯が切れている。付近は街に落ちたインクの染みというか、視界も確保できぬほどの闇だ。だから根積の姿は見えていないだろう。だが逆もまた真なりで、声の主を目視はできない。
「いるんでしょ? かくれたってむだだよ」
問いかけの形態こそとっているが確信している口調、しかも楽しげだ。
分厚い雲のたちこめる夜だったがなんの気まぐれか、雲間から弱々しい月光がさした。
光を照り返し金属が光る。冷たく尖った鉄の串、氷を砕く道具だ。アイスピックともいう。
「おじさん、出てきてよ。あたしとあそぼ?」
豹のように足音はしない。けれど少しずつ声が近づいてくるのが根積にはわかった。
カリカリと石を削る音がする。歩きながら声の主が、アイスピックを塀に伝わせているのだろう。
小半時ほど前のことだ。
その夜、ある男を尾行していた根積は、男が襲撃を受ける瞬間に出くわした。
人通りが絶えたとき、暗がりから飛び出した黒い塊が男の腕を刺そうとしたのだった。根積はとっさに割り入ってさらなる攻撃から男を守った。思えばそんな義侠心は不要だったかもしれない。根積の見立てでは、男は最低の部類の犯罪者だったのだから。
けれどやり直してもう一度この場面に遭遇したとしたら、やはり同じ行動をとってしまうだろうと根積は思った。一、二年前だったらもっとドライになれたはずだが。
刃物を持った襲撃者を押しのけた瞬間、根積は頬に熱を感じた。アイスピックで切られたと悟ったのはもっと後になってからだ。
痛みよりも、目にしたもののほうが根積を驚かせた。
――女の子!?
小柄な襲撃者は少女だった。髪を振り乱しており顔は見えないが、背丈からして中高生くらいに見えた。
「警察を」
呼んでくださいと根積は呼びかけたがもうそのときには、尾行対象の男は姿を消していた。後ろ暗いところのある男だ。おそらく通報はするまい。
もう一度刃が繰り出された。本能的な恐怖に駆られ根積は逃げたが少女は追って来た。
寝子島の道は頭に入れてある。だから逃走は容易と根積は踏んだが甘かった。少女は超人的な脚力と跳躍力を見せ、根積が地の利で稼いだ距離を瞬間的に詰めてしまうのだ。歩道橋の欄干を走り、数メートルの壁であれば駆け上った。まるで世界でも自分にだけは、重力の法則が働かないかのように。
もう少女までの距離は数メートルといったところだろうか。
「どーこかなっ?」
獲物をいたぶる猫のような口調と、アイスピックが塀を削る音が近づいてくる。
根積は立ち上がった。このときふたたび、雲のカーテンの合間から月が顔をのぞかせている。
「やっとわかりましたよ」
根積の全身が浮かび上がる。スポットライトでも浴びているように。あきらかにサイズの大きすぎる背広にやはりオーバーサイズのズボン、髪は白髪交じりで細面、眼鏡をかけた貧相な姿だ。根積は言う。
「あなた、普通の人じゃないでしょう。あたしと同じで、自分のなかにもうひとりいる人間――DUAL(デュアル)でしょう」
「でゅある?」
少女の足が止まった。
「意味はわからなくていいんですよ。極端な二重人格とでも思ってください。われわれDUALの場合、もうひとりの人格は正反対の身体能力をもちます。虚弱な肉体は鋼の怪人に、元が強い人は弱くなってしまう。私の場合は前者ですね。そう、あなたは私の同類ということです。知ってますか? DUAL同士は磁石みたいに引き合うんですよ。私はこれまで三人、DUALと出会ってきました。お嬢さん、あなたにもおなじ匂いを感じます。だからその凶行は、本体の意思がやってるんじゃない。やらされているんです、普段眠っているもうひとりに」
「意味わからないよ、おじさん。あたしは怒ってるだけ」
「通り魔を邪魔したからですか?」
「
通り魔じゃない!」
少女の剣幕に根積はたじろいだ。それにしてもどこかで見たことがあるような姿だ。暗いためよくわからないが。
「あの十輪田ってやつはうちの学校にきょういくジッシューとかで来て、女子の体をさわりまくった。変態だよ。なのに人気があった。心の弱い子に近づくのがうまいの。ハダカの写真を送った子もいるみたい」
「十輪田 黄金(とわだ・こがね)……あの男ならやりそうなことです。だからあたしは彼の正体を暴くべく行動していたのですが」
「まどろっこしいよ。刺しちゃうほうがはやい」
「だったらお嬢さん、あたしはあなたを止めなきゃならない」
「だったらおじさん、あたしはおじさんを殺さないとね」
刃が閃(ひらめ)いた。
根積の左袖が裂けている。裂け目に赤い血がにじんでいた。
最初、根積が漏らした声は苦痛のうめきに聞こえた。
しかし少女は怪訝な表情で動きを止めている。
根積が含み笑いを漏らしていたからである。
「……失礼。お嬢さん、あたしは嬉しいんですよ。自分もDUALだって言いましたよね。あたしの内側には怪物が住んでるんです。フランケンシュタインのモンスターみたいなのがね。でも、でも、出てこない。あたしをずっと苦しめていた怪物が、こんな状況になっても出てこないんです。驚きました。嬉しい驚きです。とうとうあいつが引っ込んでしまった! これほど嬉しいことがあるでしょうか。あたしはついにあいつを封じた。あいつに勝ったんです!」
「そうなの? でもおじさん、死ぬよ」
「あいつと別れて死ねるのなら、それはそれで幸福です。おやりなさい、お嬢さん。でも殺人はこれで最後になさい。どうせ十輪田は自滅します。あの男は司法の手に委ねると約束してください」
にこりと少女の口元が歪んだ。
「しないよ。そんなやくそく」
少女が根積の向こう脛を蹴った。思わずうずくまった根積の脳天に、逆手に握ったアイスピックを振り下ろす。
アイスピックは刺さったまま抜けなくなっている。
いわば丸太に突き立った蚊の針だ。ぴくりとも動かない。
信じられないという目で根積は自分の腕を見つめている。怪物の腕だ。ぶかぶかの背広が今度はパンパンになり破裂しそう。とっさに刃をふせごうとした左腕が、鋼の筋肉でアイスピックをくわえこんでいるのだった。
「腕だけが、『マウス』に」
悲鳴をあげ根積は右手――か細いままの右手――で自分の右頬を押さえた。頬が膨らみつつある。膨らんだ部分に剣山のような剛毛が生えかけていた。
「出るな! マウス、出るんじゃあない!」
「なに言ってるの? 気持ち悪い」
少女はアイスピックを根積から引き抜くと水平に薙いだ。
「いくらモンスターでも目はふせげないよね」
しかし刃が根積に触れることはなかった。
突風が吹いて根積(まだマウスではない、根積だ)と少女を吹き飛ばしたからだ。
「え? なに!?」
少女――
芋煮 紅美は空中で一回転して着地した。アイスピックを握り直す。
根積はそうもいかず、肩からアスファルトにたたき付けられていた。
「ねえ」
と言ったのは少女の声だが紅美ではない。
「どっちが悪者?」
白いワンピースにカーディガン、スニーカー姿、この季節にはやや寒げに見える。
だが注目すべきは服装ではない。エメラルドグリーンの長い髪、やはりエメラルドグリーンの瞳でもない。
彼女は宙に浮いているのだ。
「私、晴月。
風の精 晴月。悪者、こらしめてあげるよ」
晴月は無邪気に言った。
「だからどっちが悪者かおしえて」
◆ ◆ ◆
丸(○)をつけてバツ(×)もつける。
保健ミニテストの採点だ。○、○○、×、○×××○。とどめは×。合計五十点なり。あまり良くない。
あたしの人生こんな感じかなぁ。
採点は純粋に作業なので、やっているうちに無関係の思考が入りこんでくるのは致しかたないところだ。
いけない。集中しなくちゃ。
相原 まゆは赤マーカーペンのお尻で眉間をノックした。
×××○、××○、×○×。ちょっと三十点!? もー、なにやってるのよこの子は。
考えてみりゃあたしの人生、こっちのほうが近いかも。
まゆはため息をついた。
人生全般がこうだという話ではない。自分がグレイトティーチャーとは言わないが、教師はまあ天職だと思う。楽じゃないが充実はしている。給与面もグレイトなる理想とは東京―大阪間くらい距離があるものの、これが公立高校教師だったら残業代すらないわけで(※)その距離たるや月―地球間程度となったであろう。同僚の
久保田 美和とは無二の親友だし最近じゃクールビューティーの
樋口 弥生とも仲良しだ。生徒たちのことはかわいいと思うし、生徒からの支持もそれなりにあるみたいだし、これで三十点だなんて不平を漏らしたらバチがあたるやもしれぬ。
でもねえ。
次の採点に移る。○×○×……。
恋愛のほうは、マジ三十点よね。
まゆは小学校時代は恋愛に興味すらなく、なぜだか中学時代だけはもてた。ただし女子に。毎年バレンタインデーには後輩女子からのバレンタインチョコがわんさと集まったものだ。いま考えてみればもしかしたら、あれがまゆ唯一のモテ期だったのかもしれない。
大学時代、ちょっと憧れていた同級生とほんのすこしだけ付き合った。リーダーシップあふれる好青年と思っていた彼は実際かなりがさつで乱暴な男で、酒を飲んでは後輩を殴り、レストランの店員に横柄な態度を取るような人間だったので、たった二回デートしただけで別れを告げた。自分も体育会系なのに、体育会系男が苦手になったのはそのせいだと思う。
それで気がつけば三十六歳。
両親は『結婚しろ』なんてうるさいことは言わないものの、ときどき母が友人の孫の話をしたり、父と観ていたテレビで結婚式のシーンが出たりすると、特に自分は何も言われていないのに圧を感じないでもない。
べっつに恋愛したいなんて思わないけどさ。
将来の夢はお嫁さん! なんていうドリーマー女子だったことは一度も経験はない。かつてまゆの夢はスポーツ選手でその次がケーキ屋さんでその次が学校の先生だった。三番目とはいえドリームを実現したのだからなんの不都合があろうや。でも。
お母さんにはなりたかったんだよなぁー。
スポーツ選手でお母さんは可能だ。ケーキ屋さんでお母さんも然りだ。
だったら教師でお母さんだっていいじゃないか。
でも無理だろうなあ。ああ、独身でも養子あっせんてできないのかなぁ。
ごん、と音がした。採点を終えたまゆが机に突っ伏したのである。
「どしたん? 失恋でもした?」
ついーっとキャスター椅子を滑らせて美和が隣にやってきた。首だけ横にむけてまゆは死んだ目で言う。
「あのねえ、あたし、美和ちゃんみたいに年中恋愛をこじらせてるわけじゃないからね」
「五十嵐先生のことは?」
一時期まゆが
五十嵐 尚輝に夢中だったことは、美和と弥生だけが知る(たぶん)秘密である。
「尚輝先生はね……もういいの。あたしには手の届かない高級メロンみたいな存在だから……」
「高級メロンて」
世間的にはきっと野暮ったい部類に入る尚輝だが、見る人は見ているということだ。
「そういう美和ちゃんはこじらせてるの? 恋愛」
待ってましたとばかりに美和は言う。
「こじらせてるかも~。いや、これからこじらせるのかな? どうかな?」
美和は現在、寝子高関係者のある人物と急接近中だという。
当然まゆは「誰っ!?」と訊ねるが「相手に迷惑かけられないからー、もうちょっとだけ秘密で」と美和は頭を下げるのである。
でもあと少し関係が進めばまゆタン先生に真っ先に教えるから! と美和は請け負った。
「えー、じゃあヒントだけでも」
んっとねー、美和は腕組みしてかく言った。
「一昔前に一世を風靡したしたロマコメ俳優の若いころに似てる! 老けちゃったけど最近も、ダンジョンとドラゴンの映画に出てたよ。超カッコいいんだからぁ」
「……むう。わからん。あたしあんま映画観ないからなぁ」
「まゆたんだってあの子どうなんよ。一時期『まゆ先生結婚してくださーい』ってしきりに言ってた元教え子」
ああ、とまゆはため息した。
「あのね、あれくらいの年代の男の子が年上の女性に熱を上げるってのは『はしか』みたいなものなわけ。高校出て周囲が大学生になったら、こんなおばちゃんのことなんて忘れて同年代の女の子とキャッキャウフフウェイウェイとやってるよ、きっと」
「でも十一月に彼とイベントで一緒してたじゃん」
「
なぜそれを!?」
がばと身を起こしたまゆはネッシーでも目撃したような顔である。ふっふっふと美和は笑った。
「みわちゃんイヤーは地獄耳よ」
このときまるでタイミングを見計らっていたかのように、デスクの上のスマートフォンが振動した。
メールが来たのだ。発信者名は、『
冴木 竜司』とある。
「きっと誘いのメールよ」
「なんでわかんのよ」
「行きなさい! ゴー!」
「中身も見ないで何言ってんの!?」
「予感」
「予感て!」
※正確にはちがう。公立校教諭も時間外手当がわりに月給の四パーセントだけは支給されている。だがあとは残業や休日出勤、放課後や土日の部活指導も含めてすべて無償である。
◆ ◆ ◆
文字通りの意味は『分かれ道』、転じて『人生の岐路』、それが“fork in the road”だ。
年末そして年度末差し迫るなか、あなたは迷いを覚えているだろうか。
それとも行く道を見つけ出しているのだろうか。
マスターの桂木京介です。ここまでお読みいただきありがとうございます。
冴木 竜司さん、ガイドへのご登場ありがとうございました!
ご参加の際は、このガイドにこだわらず自由にアクションをおかけください。
概要
シナリオガイドのお話にかかわる必要はまったくありません。
分かれ道、という意味のタイトルです。
ついに年末十二月。寝子高生にかぎらず最終学年のかたは卒業が近づいていることでしょう。
すでに決まっているひとは、あなたの進路、進む道、それを教えてください。
あるいは、重大な岐路にさしかかっているかたもいることでしょう。悩みあるいは迷う物語になるかもしれません。
できればタイトルを意識していただきたいところですが、日常シナリオというところを強調したいと思います。
深く関連していなくても、こじつけであってもまったく問題ありません。
・枝毛(分かれている)が気になる。
・フォークが道に落ちていた。
・僕とフォークダンスを踊って下さい。
といった軽い内容でも、
・彼との別れを決意した。
・春に海外留学します。
・放浪をやめて家業を継ぐことにする。
といった大きな内容でも大丈夫です。
NPCについて
制限はありません。ただし相手あってのことなので、必ずご希望通りの展開になるとはかぎりません。ご了承下さい。
特定のマスターさんが担当しているNPCであっても、アクションに記していただければ登場できるよう最大限の努力をします。
NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、ライバル同士、I am your fatherなど)を書いておいていただけると助かります。
参考シナリオがある場合はタイトルとページ数もお願いします(できれば2シナリオ以内でお願いします)。
私は本当に記憶力に問題があるので、自分が書いたシナリオでもタイトルとページ数を指定いただけないと内容を思い出せないのでご注意ください(マジです)。
以下のNPCと絡めたいかたにだけは注意が必要です。
芋煮 紅美、根積 宏一郎、風の精 晴月
シナリオガイド冒頭のシーンは比較的すぐに終わります。翌日以降、どうかかわっていくかに重点を置いた描写を考えています。
※まだキャラクタープロフィールには反映していませんが、芋煮 紅美はDUAL(極端な二重人格のようなもの)化しています。あなたにどちらの顔を見せるかはわかりません。
それでは次はリアクションで会いましょう。
桂木京介でした!