「ダメなのよ」
一升瓶から直接コップに日本酒を注ぎ、和服に割烹着姿の老女がカウンターに頬杖ついて溜息を吐く。
「ダメ?」
隣の席で焼酎のぬる燗をアルミ製ちろりからコップへ手酌しつつ、
宇佐見 満月はくるくるとした大きな栗色の瞳を瞬かせた。そばかすの浮いた頬がふわりと赤い。
「ダメなの、もうねえ、だめだめなのよ」
「そんなにかい」
「そんなによ!」
コップの日本酒をぐいーとあおり、『やきとり ハナ』の女将であるところの黒河ハナは皺深い顔をしかめる。
「聞いてくれる、みーちゃん」
「はいはい、何でも聞こうってなもんさね」
暖簾を引っ込め、灯りを落とした小さな居酒屋の店内には、帰りを引き留められたお客であるところの満月と老女将のみ。
幼い頃の満月の呼び名を口にする女将は、今日は少しばかり酔いたい気分らしい。
「太一なんだけど」
「んっ、」
商店街の飲食店仲間でもあり幼馴染でもあるハナの息子、黒河太一の名が出された途端、満月は口に含んでいた焼酎をごくりと呑みこみ噎せそうになる。小さく咳払いをして後、何でもない風を装う。
「……太一っつぁんがどうかしたんかい?」
当の太一は閉店作業で外回りの掃除のために店外へと出ている。
「こないだみーちゃん手編みのサマーセーター届けてくれたじゃない」
「あっ、ああ、……そん時は愚弟たちが邪魔したね」
眠れない初夏の夜、考えても考えても答えの出ない思考をどうにかしたくて、考えた末に辿り着いてしまうかもしれない答えがどうにも落ち着かなくて、手ばかりを動かした挙句に出来上がってしまった手編みのサマーセーター。熊でも着れそうなほどのサイズのそれをぴったりと着れるのは、周りでは幼馴染のひとりである太一くらいなもの。
──僕は、満月さんの手を守れていますか
あの日に聞いた太一の言葉がまたぞろ脳裏を過って、途端に胸がもやもやした。あの日からもう随分経ったというのに、もう真夏も真夏だというのに、あの日の言葉がいつまでたってもふとした瞬間に蘇っては頭を巡る。
(ああもう!)
考えすぎて爆発してしまいそうな自分の頭をどやしつけるついで、コップの焼酎を一息にあおる。あんな髭面の大男、そもそも自分の好みではないはずだ。
(あたしはもっとこう──)
たとえば、と記憶を辿る満月の隣で、ハナはまた一升瓶から酒を注ぐ。ついでに空っぽになった満月のコップにも酒を注ぐ。
「折角の素敵なセーターなんだからそれを着てみーちゃんをデートにでも誘いなさいってもんでしょう! セーターのお礼にどうですかって! 水族館とか恋猫の丘とか野球観戦とか、色々あるでしょ色々!」
なのにね、と大きな溜息を吐く。
「あの意気地なし、家宝にするって言って箪笥の奥に仕舞っちゃうのよ。時々取り出してニヤニヤするだけなのよ。ダメダメなの。ダメダメなのよもう!」
ばんばんとカウンターを叩いて突っ伏す。
「あの子にとってみーちゃんはずっと憧れの女の子なの。高嶺の花なの。手が届かないからせめてみーちゃんを大事にしてくれる誰かが現れるまで守ろうって肚なのよ、我が息子ながら情けない上に姑息!」
吐き捨てては溜息を吐く女将の背を満月が擦っているうち、外に続く引き戸がカラリと開いた。母親に手酷く詰られているとは露知らず、外の電光看板を片手に提げた太一が戻って来る。
「母さん、飲みすぎ。すみません、満月さん」
「あ、ああ、いや、構わないさね」
「みーちゃん、これあげる」
むくり、女将が赤い顔を上げた。割烹着のポケットから取り出した寝子島島内であれば大抵の施設で使えるペアチケットを満月の手に握らせる。
「太一、みーちゃんと行って来なさい。みーちゃん、明日は定休日だったわよね? 太一、明日は帰って来なくて良いですからね」
真っ赤な顔をしてふらふらと店から出て来た満月に、店の店員が心配そうに声を掛けている。遅いから送りましょうか、と言う熊じみた大男な店員に、
「いいさねいいさね、あたしよか女将さんさね」
満月はぱたぱたと手を振る。そうしてそのまま、店員と差し向いあったまま固まる。
「太一っつぁん」
「満月さん」
あの、とお互いに声を掛けかけては口ごもり、目を逸らして考え込む。
「……まあ、あたしも明日は暇だし」
ぱちん、と自分の両頬を叩き、満月はひとまず何もかもを吹っ切ったようにカラリと笑った。
「太一っつぁんさえ良けりゃ、たまにはあちこちフラフラ出歩いてみんのも悪かないさね!」
「そっ、……そそそうですね、たまには出掛けてみましょうか!」
約束の時間と場所を打ち合わせ、それじゃあと互いに手を振って別れる。
歩き始める満月の顔が酒精のせいではなく赤いように見えて、
「デっ、……デート! どう考えてもあれはおデートの約束じゃないですか……!」
月影の電柱に身を潜めた大田原イザヤ──本性を満月の姪が寝子島高校へ入学する時から持っていたぬいぐるみに宿った付喪神である『
イザ さん』であるところの彼は、外を出歩く際の十歳児ほどの少年の姿で呻く。
「五月蠅いポンコツ」
「リュウ君ひどいー」
手を繋いでいた三歳児姿の片割れ、ヒトの姿をしているときは大田原リュウジと名乗る、こちらも本性はぬいぐるみの付喪神『
リュウ さん』にすげなく罵られ、イザさんは大して気にした風でもなく笑った。
持ち主が眠ったのをいいことに、飲みに出たきり帰って来ない持ち主の叔母の様子を見に来くという名目の真夜中の散歩で出くわした、『おデート』の約束現場を前に、イザさんはどこからか取り出したハンカチを噛みしめる。ついでに滂沱と涙を流す。
「とうとう、とうとう……」
「なんだ、鬱陶しい」
「おてんば娘に春が来た……!」
「……そうか?」
懐疑的なリュウさんの言葉は聞かなかった振りをして、イザさんはふらふら帰路を辿る満月の背中を見つめる。ぬいぐるみの付喪神であるところのイザさんの魂の核となっているのは、持ち主の亡き父親であり、つまりは満月の兄だ。
妹の幸せを願う心と妹を取られる嫉妬に狂うイザさんを横目に、こちらも別の人間の意思の欠片を宿すリュウさんは大人びた溜息を吐く。
「リア充め」
「ってリュウさん、みづきの邪魔しちゃだめだからねー」
「するかボケ、その言葉丸々返してやる」
「えー、僕は邪魔なんかしないよー。見守るだけだよー」
ということは、とリュウさんはあどけない顔をしかめる。
「こっそり付いていく気か」
「とーぜん! あ、もちろんリュウさんも一緒だよー」
僕のはんぶんだからね、とふわふわ笑うイザさんを真夏の月明かりの下に眺めやり、リュウさんは重い溜息を吐く。
どうやら明日も、騒がしくて忙しい一日になりそうだ。
大変たいへんお待たせいたしました! 長いことお待ちくださいましてありがとうございます、プライベートシナリオガイドのお届けです……!
宇佐見満月さん、イザさん、リュウさん。このたびはご依頼ありがとうございます。デート(?)のお話、その他諸々、どうぞ存分にお楽しみください。
デートの行先は寝子島島内であればどこでも構いません。水族館でも動物園でも、海でも夏休み中の寝子島高校でも。
登場NPCについて
・他のマスターさんが担当していない登録NPCやXキャラ、阿瀬が担当している登録・未登録NPCであれば、不自然でなければ登場が可能です。
・Xキャラクターをご希望の場合は、口調やPCさんとの関係性などのキャラクター設定をアクションにお書きください。
Xキャラ図鑑に書き込まれている内容は、URLを書いて頂けましたら参照させていただきます。
▼黒河太一
満月さんのことはずっと『憧れの女の子』状態です。ほとんどこっそり崇拝していると言ってもいいかもしれません。なので、恋人としてお付き合いできるとは(実は)ちっとも思っていなかったりします。一緒に歩けるだけで幸せ。でも出来れば遠くから見つめていられればもっと幸せ、な臆病者です。
今回の『デート』も、憧れの人の荷物持ちが出来ればいいかなくらいの気持ちです。なので基本、今のところ満月さんのおまけです。
ということで、真夏の一日をお楽しみください。
みなさまにお会いできるのを楽しみにお待ちしております。