開け放った窓から春に萌える山の匂いがしている。
夏にはすだく虫の声、秋には折り重なる落ち葉の香、冬には降り積もる雪の音──九夜山に抱かれた猫鳴館で起居するうちに覚えた森の気配を肌に感じながら、
神代 千早はほとんど空になった自室を見遣る。
転居先を決めてから、自転車も使って少しずつ荷物を運んだ。作業用テーブルや使っていたベッドは後日この部屋に入るだろう誰かに使ってもらうことにしていて、だからもう、この部屋から運び出すものは今腕に抱えているこまごまとした作品を詰めた箱ひとつきり。
窓の外へと眼鏡越しのまなざしを向ける。
この窓から、色んな景色を眺めて過ごした。この部屋で、色んなものを作って描いた。
どこからか入り込む虫や薄い壁を素通りする他の寮生の声に困惑したことも、今となっては笑える思い出だ。
(……うん)
胸をしんと冷やす名残惜しい気持ちをきちんと確かめ、小さな息にして吐き出す。あとに残るのは、胸の内をそわそわとくすぐる新しい暮らしへの期待。
唇が微かな笑みのかたちになっていることに気づいて、両腕に抱いた箱を抱え直す。窓を背に、高校生活を過ごした部屋を最後にひと眺めして廊下に出る。
在校生や元在校生たちの『作品』や生活用品等が雑多に並ぶ廊下を過ぎる。平日の昼過ぎであるからか、寮内にひとの気配はあまりなかった。
軋む扉を開けば、九夜山に流れる春風がぶわりと額の髪を撫で上げた。
うなじにまとめた髪が乱れるのも構わず、住み慣れた寮の外に出る。くるりと踵を返して向き直り、
「お世話になりました」
一礼して別れとする。
玄関先に停めた自転車に最後の荷物を積み込む。日々暖かくなる道を自転車を押してゆっくりと歩き、一路辿るはシーサイドタウンの新居。
元家具工場であったという新居には小さな庭がある。
数本の花木が雑草に埋もれるばかりの現状はどうにかせねばなるまいが、ありがたいことに大学が始まるまでまだ時間はある。
(花壇を作ろう)
普段手掛けている木工や絵画などの創作作業の延長のように考えつつ、春風に踊るひつじ雲を仰ぐ。今までと違うことをしてみるのも、新生活の楽しみというもの。
どんな造形にしようか、どんな花を植えようかと考え考え自転車を押して歩いていて、
「……あ」
足元、アスファルトの地面に描かれた白墨の線路を踏んでいることに気が付いた。ごめん、と反射的に呟いて足と自転車をお手製線路から退かす。
詫びる視線の先には、おかっぱ頭の少女。しゃがんだ足元に黒猫をまとわりつかせて道路に落書きをしていた四五歳ほどの少女は、気にした様子もなくニコリと笑った。
(ここは、……)
少女の家らしい古民家を仰ぐ。以前は半ば廃墟と化していたその家は、新居である元家具工場とほど近い。先に内見した折には、家の主らしい男と顔を合わせている。荷物を運んで往復する際、黒猫を連れた少女とも幾度か顔を合わせてはいたが、まともに声を掛ける機会は得ていなかった。
「今日は」
ご近所さんになる少女と黒猫に挨拶をすると、
「こにちわ」
少女は黒猫を抱き上げてまた笑った。上半身を抱かれてぐいーんと胴を伸ばす猫と一緒に頭をぺこりと下げてから、少女は首を傾げる。
「つくもがみ、いた?」
「え、……」
新居の物置と化した一階部分から聞こえたというナニカの声に思い至って言葉に詰まる千早に、少女は真っ黒な瞳を元気いっぱいに笑ませる。
「おにいさんのおうちにつくもがみ、いるよ。こん、見にいきたい」
『こん』と名乗る怪談好きな幼女に迫られ困惑するうち、
「こら、こん。お兄さん困ってはるやないの」
家の奥からもうひとりの少女の声がした。開け放たれた玄関戸の向こう、日本人形のような長い黒髪の少女が立っている。
「向こうのおうちに越して来はったひとですね」
古家と申します、と十代前半のように見えてどこか臈たけた雰囲気の少女から挨拶を受け、千早はぺこりとお辞儀を返した。
「神代です。これから、どうぞよろしくお願いします」
こんにちは! プライベートシナリオのお届けにあがりました。
神代さん、ご依頼ありがとうございます。いよいよお引越しですね、新生活ですね!
書かせてくださいましてありがとうございます、今回も張り切ってまいりますー!
花壇を作ってみたり、不思議な同居人たちに挨拶したり、ご近所とお付き合いを始めてみたり。色んな場面を描かせて頂けましたらと思っております。
登場NPCについて
新生活を賑やかしたり冷やかしたりお邪魔したりのNPCたちです。アクションによっては登場したりしなかったりしますが、折角のプラシナです、どうぞご自由にお書きくださいねー!
〇ユニ
手土産のシーグラスや貝殻をポケットいっぱいに詰め込んで神代さん家の前で待機中です。どうやら神代さんと一緒に新居の探検をしたい様子。
『こん』とは去年の夏に海岸で出会って顔見知りです。(リアクションは読まなくても全然大丈夫ですー)
〇古家家の人々
神代さん家の付喪神に会ってみたい四歳児くらいの少女『こん』、
『こん』のお供状態な黒猫の『たま』、
ご近所さんに世話焼きしてみたい十代前半くらいの少女『夕』、
奥の居間でうつらうつら昼寝中の『古家 日暮』、の四人(?)がいます。
〇付喪神たち
元家具工場に放置された古い家具や道具たちが妖怪化したものたち。
基本的に気のいい、害のない陽気なナニカです。物置状態な一階部分に時々ふらりと現れては輪になって踊ってみたり歌ってみたりして遊んでいるようです。
神代さんのお越しを心より楽しみにお待ちしておりますー!