寒くなってきたっすねえ、と、誰に言うでもなくつぶやいて、『プロムナード』勤務のキャバ嬢
あんなは、オレンジと黒のハロウィンカラーだらけになった夕暮れの街を歩いている。
平日のこの時間帯、あんなはあまり好きではない。とりわけ秋冬は。
行き交う人がみんな、疲れているように見えるからだ。
絶え間ない胃痛に耐えているかのように、背を丸めて歩くサラリーマン。
小銭が落ちてるとでもいうのか、ずっと視線が足元の中年女性。
数人連れの小学生はそろって同じ塾のロゴが入った黒いかばんを背負い、生気のない小声で会話を交わしている。
それでも前を向いて歩きたい。あんなは胸を反らせるように足を進めた。あんなの仕事時間はこれから、しかも今日は、めずらしいことに自分を指名する予約が入っているのだから。
指名があれば手当が出る。予約となれば増額だ。
これで光熱費は大丈夫――。
予約の報を聞いたとき、深く息を吐いて安心したものだ。二ヶ月前は、電話を止められそうになってちょっと焦った。
キャバ嬢は一般に思われているほど高収入の仕事ではない。たしかに時間給としては多いかもしれないが、勤務時間は長くはないし、衣装やメイク品はだいたい自腹で、エステも美容室もまめに行かなければならない。頻繁に客や店と連絡を取る必要もあって出費が激しいのだ。
泰葉や紗央莉のようなトップは別格として、あんなみたいな万年最下位嬢では、貯金はおろか毎日の生活すらやっとというレベルだったりする。実際、あんなが住んでいるのはエアコンもない木造2Kのアパートだ。
それでも、ちゃんと毎食ご飯が食べられて、理由もなくぶたれたりしなくて、雨風の入らない部屋で眠れるだけであんなは十分幸せなのである。
予約を入れてくれたお客さんは紳士な男性だった。常連になってくれたら嬉しい。
だから今日はがんばろう、というあんなの考えは唐突に途切れた。
「桐太(とうた)君――っすか?」
キャットロードの片隅、潰れたバーの軒先に、膝を抱え座り込んでいる少年を見かけたのである。
「どしたんすか、こんなとこで」
通勤着のジャージに上着をひっかけただけの姿なので、ためらわずあんなは少年の隣に腰を下ろした。
比嘉 桐太、同じアパートの住人だ。母親とふたり暮らしで、あんなの部屋の真下に住んでいる。何度か話したこともあるから、小学校の二年生だということ、算数がぜんぜんできないということ、本と鉄棒遊びが好きだということもあんなは知っている。
パンとジュースでも買ったと思われるコンビニの袋が、しぼんだ白い風船のように桐太の横に置いてあった。
「もう子どもはおうちに帰る時間っすよ~」
おどけた口調で告げた。地元でつちかわれたパシリ気質が抜けず、子どもが相手でもあんなは彼女なりの丁寧語になってしまう。
ようやく桐太は、ぽつりと告げた。
「お母さんが、しばらく外で遊んできなさい、って」
「え……ああ、そっすか……」
キュッと胸が痛む。あんなにも似た経験があったからだ。酒を呑んだ義理の父親に、夜中にパジャマ姿で外に投げ出された記憶が蘇ってきた。
桐太とはよく話す一方、その母親についてあんなのイメージは少なかった。がりがりに痩せていて血色が悪く、声を掛けても幽霊みたいに会釈するだけだ。年齢はかなり若いはずだが、暗い表情のせいか老けて見えた。桐太の母親は朝早くから夕方まで、食品工場で働いているはずだ。
「今日、桐太君なにか怒られるようなこと、しちゃったっすか? 学校とかで」
桐太は首を振った。
「いつも通りだった。でも夕方に帰ってきたお母さんが、九時くらいまで帰ってくるな、って」
出て行かされたそうである。
彼氏でも来るのか、と思いかけたが、それにしては『九時くらいまで』という時間設定が妙にひっかかる。
なんか、なんだか……。
胸騒ぎがする。
本当は桐太を連れてアパートまで戻りたいところだ。でもそうすると遅刻は確実、予約が入った時間に間に合わなくなるおそれもある。
でも……。
無意識のうちにあんなは、自分の膝を握りしめていた。
過労で入院していた店長は退院し、少しずつだが復帰の途にある。しかし無理はさせられないというのが現状だった。今日は週の中日(なかび)で店を回す嬢の数も限界ラインなので、あんなが急に穴を空けたら崩壊しかねない。
どうしよう。
桐太君のことは心配だ。
でも、店だって大事だ。
どうしよう。
このときあんなの目の前を、見覚えのある姿が通りすぎた。
え、えーっと、あの人、前にお客として来たことがある……作家で……。
直接接客したわけではなかったが、ちょっと特徴のある名前だったので覚えていたのだ。
そう、
南戸河 蔵人さん!
頼める義理ではないかもしれない。それでも、
「あ、あのー、南戸河さん、今いっすかー?」
それでも、あんなは彼に声をかけずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇
黒いリムジンの後部座席に座ると、五十センチの距離に
公村 厳(きみむら・いわお)の顔が合った。
握り拳大の石を集めて接着剤で固めたような顔の形、歪んだ唇、猛禽類のような目、頭髪はほとんど残っていない。七十に手が届きそうな年齢に見える。
服装は大仰な紋付き袴、握り部分に宝石のついた木の杖を手にしている。お世辞にも似合っているとは言いがたい組み合わせだ。
「――誰が座って良いと言った?」
公村老人が告げると、針で指先でも突かれたように
根積 宏一郎(ねづみ・こういちろう)は車外に転がり出た。そうするのが当然、とでもいうようにコンクリートの上に正座する。
「娘に揺さぶりはかけられなかった。例のナターシャとかいう、裏切り者の日陰者にも罰を与えられなかった……そういうわけだな」
「旦那様のおっしゃるとおりで」
根積の肩に、硬い杖が振り下ろされた。宝石のほうを上にして。
ひいっ、と根積は中年女性のような悲鳴を上げた。
「わしは高い金を払った。そうだな」
根積は答えない。上目遣いで愛想笑いを浮かべるだけである。
「お前は自分を一流だと言った。そうだな」
根積は下を向いたまま答えなかった。
「そうだな」
「……はい、申し上げました」
もう一度、今度はもっと強烈な勢いで杖が根積の肩に振り下ろされた。
「痛っ!」
「よく聞こえなかった」
「はい! 申し上げました! 申し上げましたとも!」
「だったらするべきことをせい」
根積は言葉に詰まったが、殴られることを恐れ大声ではいと答えた。
「お前がちんぴら三人に働いた暴力沙汰、あれをもみ消すのにいくらかかったと思っている」
次はない、と言いながら厳はもう一度杖を振り上げた。
「旦那様、あまり私を打擲なされないほうがよろしいかと……」
哀れっぽい声で根積は言った。
厳はこれを無視した。
◆ ◆ ◆
「それ、何の役に立つんですか?」
まただ、と
今道 芽衣子は思った。けれどうんざりした表情を生徒に向けるわけにはいかない。努めて笑顔で、
「英語に親しんでもらうためよ」
おかしいかしら? と締めくくる。
寝子島中学2年4組の教室、現在は英語の授業中だ。
教師の芽衣子は、基本的には教科書に沿った指導をしながらも、ときどき遊びの要素を取り入れている。このときも、アメリカのポップスターの楽曲を流し、その歌詞を説明して生徒に歌ってもらうという試みをしていた。興味なさそうにしている生徒もいるにはいるが、曲が抜群に良く、なにより海を渡ってもティーンエイジャーの考えていることはだいたい同じ、というメッセージが伝わったようで大半の生徒は楽しげに取り組んでいた。
ところが
脇坂 香住(わきさか・かすみ)だ。彼女はおもむろに挙手すると、立ち上がって反論を唱えたのである。
「英語の授業は少し遅れています。単元を進めてください」
えー、とか、そんなのつまんねー、という声も少しは上がったものの、表だって反論しようとする生徒はいない。
成績だけ言うなら香住は優等生である。寝子中全体でもトップ集団にいるといえよう。だが問題児ではあった。他人の遊びやレクリエーションについても、いちいち「それ、何の役に立つんですか?」と言って食ってかかる。ゲームなどもってのほかで「何の社会貢献もしません。時間の無駄遣いです」と言い切る。正論ではあるかもしれないが、その容赦のなさは学級内で浮いていた。
「私は生きた英語を……」
と言う芽衣子にかぶせるようにして香住は口を開いた。
「俗語の言い回しやアメリカにしかない商品名が高校受験の問題に出ますか?」
四角い黒ぶち眼鏡の位置を香住は直した。
「……わかった。じゃあ短めに切り上げるわ」
教室の半分以上がため息をつくのが芽衣子にもわかった。
こうなったら香住はてこでも動かないのを知っているからだ。
◆ ◆ ◆
いらっしゃいませ、と
三佐倉 千絵(みさくら・ちえ)はモップを持ったままぺこりと頭を下げた。
「……あ、うん……」
慣れていないのか性分か、
詠 寛美は小さく会釈しただけだった。
もう外は暗い。ゲームショップ『クラン=G』もあと一時間もしないうちに閉店である。千絵は床に汚れを見つけ、いそいそと拭き掃除している途中なのだった。
千絵は覚えている。あのお客さんは以前、友達か彼氏か、同い年くらいの高校生と来ていた人だ。今日はひとりらしい。
店舗をファミレス跡に移してから『クラン=G』には女性のお客さんが増えた。入りやすい雰囲気になったのがいいのだろうか、世の中の潮流としてボードゲームやTRPGの女性割合が増えたということだろうか。父親がこの広い場所への移転を提案したときは正気を疑ったものだが、結果としては正解だったと、いまでは千絵も認めるほかない。
でもお父さんは、「モデラー(※プラモデル愛好家)の女性割合は増えとらん」と不服そうだけど――。
そんなことを考えて含み笑いしたものの、ドタッと大きな音を聞いて千絵は我に返った。
「大丈夫ですか!?」
鼠色のスーツを着た男性客が、モップがけ途中の濡れた床を踏んで転んだのだった。
「痛たたたた……」
腰をさすりながら根積は立ち上がった。
額に絆創膏を貼っているが、これはもちろん今できた怪我ではない。
◇ ◇ ◇
その頃、桐太の母親
比嘉 美佳(ひが・みか)は、暗い目つきで黙々と作業を行っている。
アパートの自室ドア、その隙間をガムテープでふさいでいるのだ。すでに窓にも同じ処理がしてある。
殺風景な部屋の中央、卓袱台の上には、睡眠導入剤の詰まった小瓶と激安の缶酎ハイ(500ミリリットル入り)、季節外れの練炭コンロが置いてある。
桂木京介です。
今回もシナリオガイドが長くてすいません!
南戸河 蔵人さん、ガイドへのご登場ありがとうございました。
ご参加いただけた場合は、ガイド本文にかかわらず自由にアクションを掛けていただいて大丈夫です。
シナリオ概要
基本は日常シナリオですが、展開によってはバトルもありえます。
これまで桂木が展開してきたいくつかの話に転機、場合によっては終末が訪れます。
もちろん、このガイドにまったく関係のない日常話でも喜んで書かせていただきます! ハロウィン準備話、いよいよ眼前に見えてきた大学・高校受験のお話なんかもいいかもしれませんね!
よろしくお願い申し上げます。
シチュエーションについて
シナリオガイドでは何人かのキャラクターに状況を用意していますが、仮にかかわるとしても、このシチュエーションに続ける(あるいは参加する)必要はありません。
NPCについて
以下のNPCは本作において特定の働きをするかもしれません。
●根積 宏一郎(ねづみ・こういちろう)
貧相な外見の中年男性で、私立探偵を営んでいます。
肉体的な打撃を与えられると恨みの力で第二の人格であるマウスを呼び出します。マウスはジキル博士に対するハイド氏のような存在で、超人的な力で暴れ回る怪物じみた人格です。
詠 寛美の父親(公村 厳)から依頼を受け、寛美の帰郷を促すために寝子島に上陸しました。前回は寛美の周囲の人間を傷つける、という方法を選択していましたが、もうなりふり構わぬ手段に出ようとしています。
寛美を追って『クラン=G』に訪れた根積ですが、シナリオガイド本文の出来事から三佐倉 千絵への逆恨みを開始しました。
●脇坂 香住(わきさか・かすみ)
無駄なことが大嫌い、と公言してはばかることのない中学二年生です。
実は過去、漫画家を目指していたことがありました。その夢が挫折してから、かたくなな性格に変わっていったようです。
●比嘉 桐太(ひが・とうた)
桐太は、こちらのリアクションで一度登場しています。
●三佐倉 千絵(みさくら・ちえ)
小学六年生。ゲームショップ『クラン=G』オーナーの娘で、不在がちな父親にかわって店番をしていることがよくあります。このときも店番しつつ掃除に精を出していたのですが……。
●詠 寛美(うたい・ひろみ)
その日の夕方、たまたまゲームショップ『クラン=G』を訪れています。
父親の公村 厳が寝子島に来ていることは知りません。
桂木京介のシナリオに初登場した未登録NPC(『プロムナード』『クラン=G』関係者など)であれば、アクションに書いて下されば誰でも必ず登場します。※故人を除く。
公式NPCであれば、100%は保証できないもののできるだけ出すよう調整します。
※NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、ライバル同士、恋人、運命の相手など。参考シナリオがある場合はページ数まで)を書いておいていただけると助かります。
また、必ずご希望通りの展開になるとは限りません。ご了承下さい
それでは、あなたのご参加を楽しみにお待ちしております。
次はリアクションで会いましょう。
桂木京介でした!