寒風吹きすさぶ、落神神社への石段である。
履きすぎてズタ袋みたくなったスニーカー、洗濯の繰り返しで雑巾じみてきた稽古着というファッション感覚皆無、おまけに防寒という観点からも『裸よりマシ』程度のいでたちで、
詠 寛美はその日も早朝ランニングを敢行していた。
時刻は朝の五時、一日で一番寒い時間帯だが、彼女は意に介さぬらしい。
「う~……寒っ!」
……意には介しているようだ。
口に小麦粉を含んだかのように、ぶわっと白い息を吐いて独りごつ。
そりゃあ寒いはずだ、冬だから。それも2月の真ん中という、寒中の寒の日のしかも払暁、当然すぎるというものだ。
だが寛美はめげずに走る。石段を一段飛ばしで駆け上がる。
神社の裏の鎮守の森には、寛美お気に入りの一角があった。といっても決してロマンティックな心のより所ではない。その逆で実に殺風景といっていい。枝葉の落ちた古木がひとつ、ぽつんと立っているだけの空間なのだった。
置いてあるロープを木に結わえ、握りを確かめると寛美は、これを両手で『ぐい!』と引いた。
正面から引き、背負うようにして引き、引いて引いて引きまくる。
柔術家(柔道家ではない)の寛美は、こうやって投げの稽古をしているのだ。
何度もこれをやっていると、額には汗が浮いてくる。寒さは自然に忘れられていった。
だが無心なようでいて雑念もある。
格闘家としてどうなのか――と思うたび、深まってくるこんがらがった気持ちが。
「……にしても、まったく……」
呟きが漏れていた。
最近の妙に浮ついた学校が、いや、町が、もっと言えば寝子島全体が、寛美にはどうにも居心地が悪いのだった。
「バレンタインデーなんて知んねーし!」
日本全国を旅してきた寛美だから、この時期は、どこもかしこも浮き足立っているのは知っている。
だとしても、イベント好きお祭好きの寝子島の、バレンタインに向けての盛り上がりはちょっと尋常ではないと彼女は思うのだ。ここ数日はもう島中が、赤くてぷにぷにしたハートマークに埋め尽くされているような気がしている。
手作りチョコの教室が開かれたり、全国の有名洋菓子店が物産展を開いたり、くらいまではまあいいとして、イルミネーションが準備されていたり特設イベントが開催される計画だったりするのはちょっと驚く。チョコをあげるあげないの話にしたって、話題の彼氏彼女のバレンタイン状況を調べる情報が乱れ飛び、一説には忍者も暗躍しているとかしていないとかで……ともかく、なんだか毎日そわそわした緊張感に満ち満ちたこの頃の寝子島なのだった。
色恋沙汰には隔たるところ遠い、と自認する彼女としては、これは大変苦手な状況である。
「やってらんねぇや」
いよいよV-DAY(つまり14日)がやってくるこの週末だけでも 島外へ出ていようかなと寛美は、半ば本気で考えていたりする。といっても資金がないから、漁船か何かに密航することになりそうだが。
このとき寛美は思い出した。
ひょんなことから最近知りあった、同じ寝子高生
七夜 あおいの言葉だ。
「バレンタインと言ってもね、恋愛絡みのイベントと限定しなくたっていいと思うよ」
日頃の感謝の気持ちを表すだけでも、意味があるんだよとあおいは言った。
「お世話になった人に、ちゃんとお礼を言う機会にしてもいいんじゃない? 友チョコって言って友達に渡すのも流行ってるし、もっと言えば、渡すものだってチョコレートじゃなくたっていいんだから」
そう言われたときは、ふーん……くらいにしか思わなかった寛美だったが、彼女にも感謝をしたい相手はある。
――タダメシたかったりしてきたからなあ。
色々と、食事をおごってもらった人の顔が浮かんだりもする。飲食関係で遠慮はしない主義の彼女だが、さすがに『もらいっぱなし』ではいかんという気持ちはあった。
「……しょうがねぇなあ」
いつの間にかロープを引く手が止まっていた。
14日当日というのは、どうにも風潮に流されているようで嫌だ。だが前日ならどうだろう。
学校で、何かのついでに渡すというなら言い訳も立つ。(誰に対する言い訳なのか?)
けど絶対――と、寛美は思った。
――俺はチョコレートなんか渡さねえからな!
あげるなら、ぬか漬けとか納豆とか、とにかくチョコレートっぽくないものにしようと心に決めている。
◆◆◆
まだ四分の一も吸っていないのに、
まみ子はくわえていた煙草を、くしゃっと灰皿に押しつけて消した。彼女はいつもこういう吸い方をする。といっても、キャバクラ『プロムナード』に来店する客は、まみ子が煙草を吸うことすら知るまいが。
「……ま、あたしはやってもいいよ」
頭をかいて彼女は言った。
「店の宣伝活動だしね」
バレンタインデーの数日前。閉店後の『プロムナード』、そのバックヤードで簡単なミーティングが開かれているのである。シックな店舗内とは違い、バックヤードは実に簡素だ。テーブルも、折りたたみ可能の簡易机である。
自由参加だから、働く嬢の全員が顔を揃えているわけではない。
まみ子の返事を聞くと、
「おー、助かるよ」
店長の
アーナンド・ハイイドは手を合わせて拝むようなポーズを取った。
「要は、開店前たまにやってるティッシュ配りの代わりにチョコレートを配るのね? それで、受け取ってくれた子とちょっとおしゃべりする、ということ……これでお客さんになってくれるかしら?」
夕顔(ゆうがお)は多少、この活動のプロモーション効果には疑念を感じているらしい。美しい眉に懸念の色を浮かべていた。続いて、
「私も、いいと思う」
と言ったのが店のナンバーワン嬢こと
泰葉(やすは)だったので、一同の視線は彼女に集中した。
「無料でチョコレートを配るだけじゃなく、昼間の店舗を開放して、希望する人とは10分程度お話するだけ……たしかに、こういう店って敷居が高いところあるから、新規のお客さんの開拓にもなるんじゃないかな。昼でノンアルコールだから、そうそう迷惑かける人もないだろうし。ただ、イベント自体は無料だから完全にうちの持ち出しになる……」
泰葉はアーナンドに向き直って、
「それをオーナーがやろうというんだから、喜んで協力させてもらいます」
「あ、自分、いいっすかー?」
さっと手を上げたのは、新人の
あんなだった。
「でもあたしバカっすから、未成年も勧誘しちゃうかもっす」
「いいんじゃない? 明るい時間帯におしゃべりするだけだし、お酒出さないし……それで未来のお客さんになるかもよ」
まみ子はそう言いながら、また煙草に火をつけるのである。
「それにしても……」
ふーっと一条の紫煙を吐き出して続ける。
「こういうときって絶対、紗央莉(さおり)さんって来ないよねー」
◆◆◆
バレンタイン当日にはちょっと気後れするけれど、その前日なら日頃の感謝をする機会にしたい――そう考えているあなた。
あるいは、本命ではなく第2、第3候補とのデートにはこの日をあてたい――というあなた。
そもそもバレンタインというイベントには無縁なんじゃー! でも、義理でいいからチョコほしいんじゃー――というあなた。
このシナリオは、そんなあなたのためのお話である。
マスターの桂木京介です。
バレンタインデーがやってきますね!
14日当日は盛り上がること必至ですが、本シナリオはその前日を描いたお話にしたいと思います。
バレンタインなんて関係ない、みたいなタイトルですが、もちろん関係大ありで参りましょう!
一応、『日常』のくくりは設けましたが、基本、オールジャンルOKです。
バレンタインのビッグウェーブに乗り切れない人、乗るけどその前にもうひとつウェーブが欲しいという人、特定のキャラクターに日頃の感謝を述べたいという人、プレ・バレンタインイベントとして過ごしたいという人、はたまた「この騒動から逃れる! 前夜から山で修行する!」という人……どんな人でも歓迎します。
前回私が公開したシナリオ『FEAR THE FORCE』が重めだったので、こちらのほうは軽めで行きたい気持ちです。
時間やコンディションについて
バレンタインデーの前日であれば時間帯、場所は自由です。当日は薄曇り、非常に非常に寒くなりそうです。
NPCについて
詠 寛美:ガイド冒頭で出てきたキャラクターです。ちょっとでも知り合いだったら何かくれるかもしれません(高野豆腐とか、全然ロマンティックでない食べ物を)。知人でなくても、「知り合いでした」という設定をつけてしまう、「この話で知り合って煮豆をもらう」というアクションをかけるのもアリです。
『プロムナード』の関係者:ガイドで紹介したようなキャンペーンをやっております。興味のあるかたは、シーサイドタウンのキャットロード付近に行ってみて下さい。どんなNPCがいるのかについては、お手数ですが拙作『プロムナードの夜』ゲームマスターコメントを参照していただけると幸いです。
その他、会ってみたいNPCがいる人はアクションをかけてみましょう。島を離れていたり重傷だったりしないかぎり、できるだけ都合します。……ただし100%の保証はできません。『会えなかった場合』というアクションも用意していただけ助かります。うまくいかなかったらごめんなさい。
今回はコメディタッチの展開を想定しております。
それではまた、リアクションでお目にかかりましょう!
桂木京介でした。