ちいさなはつこい｜リアクション

ちいさなはつこい

一章　白いベンチの上の女の子

　やるだけはやった。やるだけはやったはずなのだ。
　星ヶ丘駅前、タクシー運転手――朝山克男は透き通った空を見る。現実逃避なのだが無理もない。
　彼は慣れないながらも、嘉穂を泣き止まそうとはしていたのだ。――どれもが全部空振りだっただけで。最終的にはねこったー頼みになっただけで。
　とうとうしゃくり上げるだけになってしまった嘉穂を前に、朝山の顔色は益々悪くなるばかりだ。
　そんな朝山と嘉穂を発見したのは、デジカメ片手に走ってきた後木真央だ。
「すとーっぷ、なのだ！　おじさん、それじゃ小さい女の子はびっくりしちゃうのだ！」
　ずざざっ！　と器用に真央は朝山と嘉穂の間に滑り込む。
「おじさんはこの子から見たらとーっても大きい大人の人なのだ。そんな人がこんなに近くで早口でしゃべったり、大きい身振り手振りとかしちゃったら、そりゃあびっくりしちゃうのも当たり前なのだっ」
　真央の指摘に朝山は慌てて嘉穂から距離を取る。
　慌てて平謝りする朝山だが、嘉穂はしゃくり上げたまま。泣くことが精一杯で真央の登場にも気づかない。
　泣き止ませようと真央はベンチの嘉穂に視線を向け、彼女の肩に掛かった色あせた黄色のポシェットに目を留める。それには小さく名前が書いてあった。笹山嘉穂、と。
「嘉穂ちゃん、なのだ？」
　名前を確認する真央の声にやっと嘉穂は気づいた。小さく頷く。
「真央ちゃんは真央ちゃんなのだ。嘉穂ちゃんが泣いてると聞いて走ってきたのだ」
「……はし……て？」
　自分を心配してやって来たと言う真央に、嘉穂は涙で濡れた目を恐る恐ると彼女に向ける。その小動物のような反応に、真央はにっこりと笑って頷いた。
「他にもねこったーを見た人が、嘉穂ちゃんを心配してここまで来てくれるのだ。びっくりしたのだ？」
　こくりと嘉穂が頷く。知らない誰かが自分のことを心配してくれているなんて、思ってもいなかったからだ。
　そして次に浮かんだのは『どうしておにいちゃんはきてくれないの？』という、子供らしい自分勝手な思い。けれど、それは嘉穂にとっては許容できるものではなかった。
　――慕っている兄の大切な物を黙って持ち出したのは、他でもない嘉穂なのだから。
　再び嘉穂の目にじわりと涙が浮かび、ぽろぽろと零れ落ちる。
「うぇえええぇえ……」
　ぎゅっと両手でスマートフォンを握り締め、嘉穂は静かに泣き出した。
　さっきとは違う子供の泣き方に、真央と朝山はぎょっとなる。泣き止んだはずなのに再び泣き出した理由がわからない。
　そしてその嘉穂の泣き声に気づいた者がいた。彼――日暮ねむるは星ヶ丘駅の改札を通り、泣き声の中心である白いベンチを見下ろす。
「えっと……こんにちはお嬢さん。何か悲しいことでもあったのかな？」
　優しい声で嘉穂に話しかけるねむる。嘉穂はその問いに何度も頷いた。
「僕はねむるさんて言うんだ。……えっと、ココアでもいかが？　飲むと心が落ち着くよ」
　後で飲もうと思い、乗車駅で買ったアイスココア。ひんやりとした缶を頬に当てられ、びくっと嘉穂がベンチの上で跳ねた。
　その拍子に握り締めていたスマートフォンが小さな手からすっぽ抜ける。それは嘉穂が散々泣いて、手のひらが涙で濡れていたせいだった。
「あ」
　嘉穂の顔が真っ青になった。
　慌てて宙のスマートフォンへ両手を伸ばすが、子供の短い腕では届かない。気づく真央とねむるが手を伸ばすが、位置が悪かったのか届かない。
　そのままアスファルトに叩きつけられるはずのスマートフォンは――、ふいに伸びた大きな手のひらによって掴まれた。

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